「ありのままの自分を受け入れる」その13 お金に対する思い
昨夜は起きる直前にいやぁな夢を見ました。
空港までの高速バスに乗っていたのですが、バス代を470円ほど余分に払っていた事が判明し、その事でバスの運転手と口論していました。その場面だけを覚えています。他のストーリーは忘れました。
昨夜はなぜか心がやさぐれた状態になり、ずっと意味もないサッカー動画をだらだら見続け、やさぐれた状態のまま眠りました。なかなか寝付けなかったのですが。
そんな事もあって嫌な夢を見たのかもしれません。
何がショックだったかと言うと、たった470円ほどの金額でバスの運転手と口論をしていた自分の狭量さとお金への執着です。
起きた瞬間、俺はまだまだだなぁ…とガックリ来ました。
僕は前にもブログで書きましたが、自分の命や寿命への執着はないのですが、お金へ執着はまだまだあります。なかなか断ち切れません。でもしょうがないですよね。お金の魔力たるや。やりたい事をやって人生を楽しんでワクワクしたらいいとか言う話もありますが、お金なしで人生を楽しむのはなかなか難しいですよ。
お金さえあればバスにも乗れます。電車にも乗れるしタクシーにも乗れる。車も買えるし電動自転車も買える。飛行機に乗って旅行にも行けて高級旅館に泊まって温泉にも入れる。値段を気にせず美味しい物を食べれる。働かなくてもいい。生活保護も脱却できる。図書館にも行かなくて良くなり新品の本を買える。Windows7のパソコンを買い替えられる。
お金があればこれだけの事ができます。これで執着しない方がおかしいとも思えますよ。
一方で、お金という物に悪いイメージもあります。
お金という物を調べてみて分かったのは、すべてのお金は誰かが借金する時に銀行が作り、完済した時に消滅するという驚きの事実でした。(←この考え方、間違ってますかね?)
という事は、僕が今持っているお金は誰かの借金によって作られたんだ… という事は、誰かが借金で苦しんでいる… その苦しみの土台の上に僕の喜びが成り立っているんだ… と思うようになりました。←(この考え方、間違ってますかね?)
そんなわけで、お金が欲しいという気持ちと、そのお金は実は誰かの不幸の上に作られているものなんだという二つの気持ちの間で揺れています。
こんな感じで僕の場合、お金に対する思い込みというか、愛憎半ばする複雑な感情が紐づけられているんです。
あとは、捨て切れない夢があります。
「お金」や「所有」をベースとした「交換」の社会から、「ワンネス思想」や「シェア」をベースとした「贈与」の社会であればいいのに…という捨て切れない夢があります。なぜこの夢を捨て切れないのかというと、宇宙の他の大多数の惑星ではお金はなくて贈与社会になっているという話を聞いたからです。地球だけが特殊な社会なんだそうです。
今の社会では、働くのが得意な人や競争に勝てるだけの能力がある人、親や支援者からお金を潤沢に貰える人以外は、ほとんどみんなお金が足りなくて困っているような感じを受けます。
すべての人に必要十分なお金が行き渡る社会になったらいいと思いませんか?