我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

書評その135 身体を持って次の次元へ行く2 ミナミAアシュタール著

2つ前の記事の続編の本で、これが最後の巻です。

この本の構成は、前半は2016年に出版されて今は絶版になっている本「夢を叶えたいなら、その夢に「名前」をつければいいんです。」を収録していて、後半は2016年以降の著者の活動報告でした。

活動報告と言っても事実の羅列ではなく、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」法則を紹介してきた著者が自ら、それらの法則を実践して見せている記録でもあるので、なるほど、そうやって法則を使いこなすのね、という理解が深まる内容でした。

引き寄せの法則」や「思考は現実化する」法則に興味を持っている人だけでなく、そんな法則胡散臭いと思っている人、これらの法則は知ってはいるけど使いこなせていない人など、いろいろな人に役立つ本だなと思いました。

上記の法則を使いこなす実践例的な本として、「他人の引き寄せ体験ほど役に立つものはない。」という本もあったのですが、絶版になっているので、こちらの「身体を持って次の次元に行く2」を事例集として代わりに読んでもいいなと思いました。

 

この本で印象に残ったところは、著者の活動の柱の一つである、横並びの丸い社会である「じょうもんの麓」プロジェクトの状況報告ですね。

「横並びの丸い社会」というのは、今の日本のような縦並びのピラミッド型階級社会ではない社会のことです。

それで横並びの丸い社会を築いていそうなところを外国も含めていろいろ回っているらしいです。

それで共同施設に住みながらみんなで農作業や家事をしている村みたいなところを見学に行ったそうです。そこは班ごとに農業班、建築班、食事班などに分かれて、毎日決まった時間に作業して、決まった時間に食事を食べて、夜はミーティングというスケジュールだったそうです。著者はそれを見て、自由がなく楽しくなさそうだと感じたそうです。

僕自身も自給自足の村に興味を持っていたのですが、何か違うなと感じてきました。やはりそれは一言で言うと、「自由がない」という部分でした。

著者が求めているのは、ガチガチに囲い込まれた村のようなコミュニティーではなく、独立した家族同士が近所に住んでゆるーく繋がるようなイメージらしいです。

確かにそれならいいかもと思いました。

 

あと、この本でほぼ初めてと言ってもいい、アシュタールやさくやさんからのメッセージの欠点というか弱点を発見しました。

それは地球人特有のトラウマ(複雑性PTSD愛着障害など)への理解が乏しいという点でした。

ミナミさんはアツシさんからしきりに小説を書くように勧められます。小説を書ける環境も整っているにも関わらず、なかなか重い腰が上がりません。「やった方がいい、やりたい、やるべき、でもできない」と先延ばしにしてしまいます。この場面が特に印象に残りました。これがまさに地球人特有のトラウマを起因とする先延ばし癖だからです。この「やった方がいい、やりたい、でも動けない、踏み出せない」という癖は、意外と根深く、単なる勇気のなさやめんどくささではないものがあると僕は見ています。

つまり、無意識、潜在意識の中に、失敗や評価を恐れる気持ちがあるのです。その原因は主に幼少期の親からの虐待による心の傷です。

この心の傷は過去の記憶に紐づけられた強烈な感情(悲しみ、怒り、悔しさ等)ですが、この問題を解決しない限り、人間はそう簡単に目標に向かって動けないのです。

著者は、過去の記憶を断ち切ることの説明(エネルギーを切る?)をブログなどで紹介していることもありましたが、この本ではそのような説明もなく、著者ご自身もなぜ自分が動けないのか分からない状況に陥っていらっしゃいました。

この辺りの部分を読んでいた時、アシュタールやさくやさんのメッセージは完全完璧なのではなく、あくまでもゼロから1にするための方法や、1を100にする方法がメインでマイナス100をゼロにする方法に関してはやはり手薄だなと感じざるを得ませんでした。

やはりマイナス100をゼロにするには、やはり複雑性PTSD愛着障害と言ったトラウマに向き合い、対峙し、その記憶と感情を感じ切り、手放すといった一連の手続きをすることは避けることはできないのではないかと思いました。