雇われないで生きる道

やりたくないことをやらないで生きる方法を探求しています。

書評その64 モロトフ・カクテルをガンディーと マーク・ボイル著 吉田奈緒子訳

感想

いやぁ…凄かったです、この本。中身が普通の本の10冊分はありましたね。中身が濃かったです。なるほどぉ…確かに確かに…と唸らされてばかりでした。読み進めていく中で一つ、また一つと洗脳が解かれていくように感じました。

 

副題…平和主義者のための暴力論

 

著者は「ぼくはお金を使わずに生きることにした」が国内外でベストセラーになったアイルランド人のマークボイルさんです。

 

この本は彼の三作目です。一作目と二作目(二作目は「無銭経済宣言」)は、お金を使わないで生き抜くためのノウハウや体験談が満載の本でしたが、一転してこの本はなんと「暴力」がテーマでした。

 

「暴力」がテーマだけに、本人もさぞ暴力的な人間なのかと思いきや、そうではないと思います。僕は2019年に本人とお会いしましたが、彼はいたって温和で素朴で謙虚で優しい人でした。

僕は事前に連絡もしないで夜暗いときに突然彼の家を訪問しました。初対面の見ず知らずの片言の外国人の僕に対して怒る事もなく、追い返す事も疑う事もなく、頼んでもいないのに泊めてくれて、食べ物や水までくれたのです。しかも無料で。そんな人どこにいますか?地球広しと言えども彼位しかいないのではないでしょうか。

そんな彼が暴力論についてのテーマで本を書いたと言うのでビックリしました。翻訳の完成を待ち焦がれていましたが、待望の翻訳版が出ました。

 

この本の内容を一言で言えば、社会変革のためには暴力もありだという事です。

激しいですね。過激ですね(笑)。

 

モロトフ・カクテル」と言うのはお酒の一種の事ではなく、火炎瓶を指します。ガンディー(ガンジー)というのは非暴力不服従で有名なインド独立運動家のことです。

 

著者はガンディーが好きで、「世界に変化を望むなら、みずからがその変化になれ」という言葉に大きな感銘を受けて、率先してお金を使わない生活やプラスチック製品を使わない生活を始めたといいます。

 

それにしてもなぜ彼が暴力などという過激な発想になってしまったのか。

僕が推測するに、やむを得なかったんだと思います。

彼がこういう発想に至るまでの経過にその原因があると思います。

彼は随分前にプラスチック製品などの石油由来の製品を一切使わない生活を1年間やり、その後にはお金を一切使わない生活を3年間やりました。

その結果を本に出したりして情報発信に努めてきた期間があります。

それによって社会は良くなったのでしょうか。

確かに彼の行動や著作の影響でいくらかの人がプラスチック製品を使う量を減らしたり、贈与経済を始めたかもしれません。

しかし、環境破壊を食い止めたいという彼の悲願は未だに実現していません。酷くなる一方であり、むしろ拡大しています。

 

それでもう彼の我慢が限界に来たんだと思います。

 

この本では、たくさんの本が引用されています。著者は物凄い読書家ですね。哲学や経済や政治の本をたくさん読んでいることが分かりました。

そういう本を読んでいて気付いたんだと思います。

生易しい社会運動では社会は変えられないんだと。

環境保護活動家やNPOが数億円掛けて数年間掛けて取り組んでいるのに一向に成果が上がらない一方で、環境保護過激派がたった一夜にして大企業を倒産や事業撤退に追い込んだ例を挙げています。

著者からすると、生易しい環境保護活動は、今の産業主義や人間中心主義になっている社会を長引かせるようにしか作用していないと見ています。

 

今の社会は、上(権力者≒企業と国家の連合体)からの暴力は容認されているけれど、下(庶民や動植物)からの暴力は認められていません。

大自然を棲み家とする動植物や先住民にとってみれば、大自然は自分の家であり庭ですね。みんなにとっての家でありみんなにとっての庭ですよね。そう考えると自分の家や庭や食べ物や飲み水を破壊されることは著者や先住民や動植物にとってみたら暴力になります。

大企業や国家には暴力が認められていて、庶民には暴力が認められていないというのはこういうわけです。

 

そして、暴力は良くない、非暴力こそ道徳的で立派だとする教育で僕達庶民が洗脳されてしまっていると著者は言います。

確かに非暴力で「企業ー国家連合体」が改心してくれるならそれが一番です。

しかし、時と場合によっては、非暴力と合わせて暴力も選択肢に入れた方がいい場合がある事を著者は指摘しています。

例えばベトナム戦争アメリカ軍の侵攻に対して、非暴力的な活動だけで米軍を撤退まで追い込めたかどうかは分かりません。確かにデモやプラカードや署名運動も多少の効果は期待できますが、一番大事だったのは、現地で現地人がゲリラ的に戦ったことが大きいことは歴史的にも明らかになっています。

 

著者は暴力を肯定しつつも、非暴力の活動家との連帯の重要性も説いています。環境保護過激派と非暴力原理主義者(非暴力だけが正しく、暴力は間違っていると信じている人)が連帯して立ち上がる必要性も述べています。どんな理由があっても暴力はダメだと言うのではなく、どのような手段が一番成果が上がるのかを冷静に比較してみようと言う態度です。今までの独立運動や抵抗運動の歴史を紐解いていろいろな戦術や戦略を洗い出し、あらゆる選択肢を残しながら最適な戦術を選ぶべきだとしています。

 

著者が非暴力原理主義者を批判しつつも、その人達との連帯の大切さを願っているのはこの本のタイトルにも表れていると思います。

原書のタイトルは、Drinking Molotov Cocktails with Gandhi (ガンディーと一緒にモロトフカクテルを飲む事)です。

ガンディーは非暴力原理主義の象徴ですよね。

そういう人達とも一緒に仲良くお酒が飲めるようになりたいという彼の願望や、願わくば非暴力原理主義に洗脳されてしまった人が一人でも火炎瓶を持つようになってくれたらなという願いも込められているのではないかと思いました。

 

以下に印象に残った文章、面白かった文章を書き出します。

 

P.33 著者定番の皮肉ギャグ

リサイクル活動やグリーンな製品の購入等が、倫理にかなった応答だと考えられている。グリーン資本主義者らは、こうしたささやかな行動が大きな変化を生むとぼくらに信じ込ませてきたが、実際のところ、強姦魔が女性を凌辱している最中に、ふと思い立ってフェアトレードのコンドームを装着するようなもの。いずれも、わずかに倫理的な手口で残忍な凶行に及ぶわけだ。

 

P.93 著者の暴力の定義

暴力とは、故意または過失により他の存在に危害を及ぼすような仕方で、あるいは他の存在の抱えるニーズや帰属する全体に配慮せず、力を不当に行使する事。故意の不履行、自覚のある間接的関与、一連の条件の強要によって、他の存在への加害に加担する行為をも含む。

 

P.99 非暴力を風刺するギャグ

 非暴力の実践者がその利点を説く際によく引き合いに出すのが「もう殺さない――ブッダとテロリスト」などの物語だ。アングリマーラという名のテロリストは、あちこちの町や村に現れては住民を惨殺していた。…(途中省略)… ブッダに遭遇したアングリマーラブッダに「わからねえのかい、俺が平気でお前を殺す事だってできるのが」と言うと、ブッダは答えた。「お前こそ分からないのか、私が平気で殺されることだってできるのが」。

 この豪胆な振る舞いに接したテロリストは、悪行を思い留まり、変容の道を歩み始めた。

 どこから見ても素晴らしい物語で、大事な教えが詰まっているが、一つだけ小さな欠点がある。現実の政財界に当てはめると笑い話になってしまうのだ。

 原生林に続く道路を封鎖している環境保護活動家に向かって、<企業ー国家連合体(この例では木材会社と警察)>が「分からないのか、我々が平気で諸君全員を逮捕し原生林を破壊するつもりでいるのが」と告げ、抗議者が「分からないのか、我々が平気で逮捕され、あんたたちに森を破壊させることができるのが」と応じた場合、警察と木材会社と政府が、たちまち一切の操業を取りやめて人間的・制度的な変容を開始し、国策だった大規模伐採に終止符を打つなどと、本気で信じられるだろうか。とてもそうは思えない。

 

P.153 産業主義がもたらす苦痛

 昔ながらの手わざを用いて、意味ある関係を結んだ相手のために生活必需品をこしらえる代わりに、産業主義のベルトコンベアに無理矢理乗せられ、細分化された退屈な仕事――人間の魂をさいなみ、やりがいも愛着も持ちえない仕事――に従事するようになった。足元の土地で生まれ育った友人や家族と離ればなれになった人々は、ジャック・エリュールの言う「人間以下の生活」を余儀なくされる。

 

P.188 著者が推薦する解決策

一般的な解決策を模範として押し付けるつもりは一切ない。おのおのが有意義だと思う方法で機械文明に抵抗し、一番夢中になれる側面に取り組もう。それが具体的に何を意味するかは、きみ本人にしかわからない。

 

P.203 著者の好きな下ネタ

消費主義とはモノやサービスを際限なく買い続けろと奨励するイデオロギーであって、総じて膨大な資源とエネルギー投入を必要とする事実は、いくらリサイクル材を利用しようとも変わりがない。真の持続可能性への道をカネで買おうとするなんて、純潔を性交で手に入れようとするのに劣らず滑稽だ。

 

P.255 デモ参加者や警官を皮肉ったギャグ

 夜分、きみの家に強盗が押し入り、室内の物を片っ端から奪おうとしたら、家族全員の体と玄関ドアをロックオンする戦術(ロックオン戦術…デモ参加者などが柱に自らを括り付け、警官や治安部隊に排除されないようにする戦術)を取り、警官が逮捕に駆け付けるのを待つだろうか。しかも、やってきた警官が捕まえるのは強盗犯ではなく、きみやパートナーや子どもたち。おかげで強盗は暴力に脅かされず、平和裏に仕事を続けられるというわけ。

 もちろんバカげた想像だが、まさしくぼくらが<大いなる家(≒周りの環境)>と<大いなる家族(≒周りの動植物)>、ひいては自分自身に対する攻撃に際して取っている態度に他ならない。忘れずにおこう。<企業ー国家>連合体みずからがでっち上げた<大いなる家>を略奪する権利を、警察は守ってやる立場にあり、実際にぼくらを逮捕することで、強盗が平和裏に略奪を続けられるようにしているのだ。

 

P.264 暴力が効果的である証拠

 暴力が何の結果も生まないとすれば、なぜ指導者たち自身はしょっちゅう剣を振りかざし、残忍な暴力を行使するのか。答えは単純。実際は結果を生むからだ。銃口を突き付けられて土地を奪われ、産業化を強いられてきた多くの土着の民が、その証拠である。

 のちほど見る通り、そう気付いているのは体制側だけではない。いかなる実効的手段もいとわず自文化や郷土を守り抜く者たちも、上下どちらの方向の暴力も結果を出し得ることに気付いている。

 体制側はなぜ、極度の暴力をのべつ密かにふるいながら「非暴力だけが唯一、道義にかなった正しい変革手段である」と説くのか。これも答えは驚くに当たらない。権力者は下々の者に、徹底的な変化を実現する道筋を与えたくないのだ。特に、その道が直接自分たちの役員会議室や首脳部に通じている場合は。

 

P.269 擬人化皮肉ギャグ

フォアグラ用のガチョウが労働組合に加入して条件闘争をしたり、オオカミがいなくなったからと森が反乱を起こしたりするのは難しいため、ガチョウや森が置かれた嘆かわしい状況は悪化の一途をたどるだろう。

 

P.269 選挙で社会は変わるのか

 <企業ー国家>連合体は、みずからの構造を真に脅かすような戦術を許容などしない。向こうの身になれば、そんなことを許すわけがない。ワード・チャーチルは「国家政策への抵抗の意思表示は、政策施行を具体的に妨げぬ限りにおいて許容される」と述べた。エマ・ゴールドマンはさらに踏み込んで「選挙投票で何かが変わるなら、投票自体を非合法化したはずだ」と喝破した。

 今日のエセ民主主義体制の元で投票によって変えられるのは担当者のネクタイの色だけ。誰が当選しようとも、<軍ー産ーメディア>複合体の性質上、産業資本主義のたたく太鼓に合わせた行進は続行される。

 

P.276 生態系を守る妨害工作ーエコタージュ

エコタージュを「生態系を守るためのサボタージュ」と定義したように、この用語は通常、大企業や国家による地球資産の食いつぶしを、妨害・阻止することを目的とした活動をさす。

立木にスパイクをつける(大型製材ノコギリの高価な刃を傷付けるため)、鍵を接着剤で固める、放火する、原生地域の測量調査用の杭を抜いて道路建設を妨害する、自然を大規模破壊するブルドーザーの燃料タンクやオイルタンクに砂を流し込む、など。

 

P.289 大企業幹部はサイコパスが多い。

2005年に心理学者カタリナ・フリッツォンとベリンダ・ボードは、英国の大企業の経営幹部らに人格テストを実施した。次にその精神測定プロファイルをブロードムア精神病院(英国の悪名高い殺人犯らが収容されている重警備病院)に収監された犯罪者と比較した。その結果、ある種の「人格障害は実際、精神障害を持つ犯罪者よりも企業幹部に多く見られた」ため、この心理学者らは、企業幹部を「成功したサイコパス」、犯罪者を「成功しなかったサイコパス」と呼ぶ。

ジョージ・モンビオは「サイコパス傾向のある人が貧乏な家に生まれついた場合は監獄へ行く可能性が高く、サイコパス傾向のある人が裕福な家に生まれついた場合は経営学大学院へ行く可能性が高いってことだね」とコメントしている。

コメディアンのラッセル・ブランドが言った様に、我々は「サイコパスが報われる社会を作り上げた」。

だが、ぼくらはサイコパスに報い、営利目的の地球の収奪を許すばかりか、愚かにも、法律や文化規範の作成までをその手に委ねているのだ。そんな法律や規範があるせいで、犯罪者か社会のつまはじきにされる恐れなしにやつらの責任を問えるような手立ては、ずいぶんと限定されてしまう。

ほかならぬこの官僚組織が、他者のために体を張っている活動家にテロリストのレッテルを貼るとは、なんとも皮肉である。サイコパス率いる組織に巨利をもたらしてくれる現体制を、手段を選ばぬ活動家が脅かすからかもしれない。

ポッターは、DHSが2008年に作成した報告書「エコテロリズム:米国の環境・動物の権利過激派」を引いて、<企業ー国家>連合体の懸念を要約してみせる。報告書によると、「動物の権利運動と環境保護活動は、文明、近代、資本主義に真っ向から対立する」。これらの運動が成功すれば、「地球環境とそこに生息する生き物に関する社会規範の質を根本的に変えてしまう」だけでなく、「ひいてはまったく新しい、アナーキーで反組織的な統治システムと社会関係をもたらすであろう」からだ。

 

P.304 実効的なアクションの成果

あえて身を賭した数少ない運動はたいがい、大手の改良主義的組織が何年もかかって達成したよりも多くの成果を、一夜にしてあげている。

そのような行動の例を、ドキュメンタリー映画「一本の木が倒れたら(If a Tree Falls)」で見る事ができる。

10年間にわたり近隣住民が、屠畜場の操業をやめさせようとあらゆる手を尽くしても、効果がなかった。「あらゆる」というのは、つまり、放火をのぞくすべての、という意味だ。

1997年7月21日の深夜、ジェイク・ファーガソンおよびその他三名が施設に忍び込み、火をつけてこれを焼き尽くした。以後、同社は再建を果たせず、ELF(地球解放戦線)にとって放火が一つのスタイルになった。長年、手紙を書きピケを張っても達成できなかった目的を、ELFは一夜で実現してしまった。

 

P.309 産業主義がもたらしている現状

気候変動、かろうじて家賃を払えるだけの退屈な仕事、対処しきれぬ速度で進む暴力的な環境破壊、自然界との断絶、本物のコミュニティの消滅、金銭的・物理的な富の著しい格差、エネルギー資源の過剰な採取と使用、心と体をむしばむ産業病…

 

P.347 テロリストとは誰のことを指すのか

雇用の創出は、それによる工業的産物がいかに生命全体に危害を及ぼそうと、仕事自体がどれほど単調であろうと、一般に善と見做される。これに対し、天文学的レベルの損失を生態系と社会と個人にもたらさずにはおかない経営方針を掲げた企業の本社を(たとえば放火により)破壊する行為は、おかしなことに、誰からも悪と見做される。悪と見ないのは、「エコテロリスト」と(構造的暴力の片棒をまんまと担がされている僕ら消費者テロリストから)都合よく呼ばれている人々だけだ。

 

P.352 建築家だけで家は建たない

 現状にうんざりしている人々の間にも、思い込みは蔓延している。社会運動の内部においてさえ、破壊的な傾向はネガティブとされ、見つかり次第、平和主義者や非暴力の実践者によって取り除かれてしまう。

 政治の風景は、金持ちと権力者による巧妙なカルテルが幅を利かせ、都市の風景のごとく隙間がない状態だ。ごみごみした都会の真ん中にアパートを建てるには、まず、既存の建物を取り壊す必要がある。

 プロジェクト全体の中で建築家の担う役割が無視できない一方で、解体作業班も極めて重要な役割を持つ。

 ところが、非暴力原理主義に完全に洗脳されているぼくらは、建築家と施行者のみが建築業界に必要だとの不合理極まりない結論に至り、解体屋には汚名を着せて仕事を与えない。その結果、建築家は来る日も来る日も机に向かって想いを巡らし、グランドデザインを描いているばかりで、いざ建設予定地へ出向いてみると、前からある建物の取り壊しに誰一人着手していないのだ。

 こうした考えは、建設業界だけでなく政治の世界に置き換えてもバカげている。

 建築家と解体班が互いの役割を認め合い、双方を創造のサイクルの美しき一員と見なして連帯しない限り、どんなに努力したところで「機会逸失」に等しい。

 

P.358 軍産複合体の弱点

人々があらゆる戦術を駆使して一斉蜂起すれば対応しきれない。

機械文明自身はある程度、少なくとも表面上は法律を順守するふりをせざるを得ない。対して文明の掘り崩しを試みる者は、戦略的に有利だと判断した場合を除き、そのような制約をみずからに課さずともよい。敵が定めたルールにのっとって戦うなど、軍事的に見て滑稽この上ない。

 

P.367 われわれは抗体だ

人体に具わった数百万の抗体を世界中の数百万の活動家やNPOだと想像できる。

自分以外の他の抗体もそれぞれの能力と性質に見合った他の抗原を無力化する使命を帯びている、という事実を尊重しなければならない。特定の抗原を無力化する抗体だけが正しいわけではない。闘うべき抗原は何百万種と存在し、おそらく今後も存在し続ける。ぼくらに課せられた任務は、己を知り、この世でどの分子になるべく生まれついたかを知り、みずからの天性の限りを尽くし、その分子として生きることである。

 

P.368 

遍在的な監視態勢を考えると、機械文明への反撃を目論む地下運動には隠密行動が求められ、それぞれの細胞同士の関係は極力、追跡されぬようにしたほうがいい。監視の目にさらされる危険を冒して接触するのは賢明でない。なにせ相手は活動家に、ガイアを苦しめるウイルスと闘うよりも、裁判で闘う日々を送らせたがっているのだから。

互いに直接連絡を取り合うリスクを冒さずに免疫系のあちこちに信号を送れる方法がある。その一つが、みずからのアクションとその理由をつづった匿名の声明をメディアに送りつけること。

 

P.374 トールキン指輪物語

トールキンも熟知していたように、ぼくらの社会と大地を癒やすにあたっては、万人に持ち場がある。指輪の仲間――産業資本家サウロンを滅ぼす任務を負った者たち――には、精神性の高いエルフもいれば、ホビット庄に住む素朴なホビット、ゴンドールやローハンから来た戦士、年取った賢明な魔法使いもいた。同じく重要な存在が自然界だ。そのような野性と多様性に富んだ変革手法のうちにのみ、再統合の時代への第一歩はあるはずだ。