日常生活その34 デンベレ選手の差別発言と美醜の基準
最近、バルセロナのウスマン・デンベレ選手とアントワーヌ・グリーズマン選手の人種差別発言が話題になっていますね。
どんな発言だったかというと、日本人の顔が醜いということや、日本語を馬鹿にしている発言だったようです。
顔の美醜の基準は何で決まるんでしょうかね。誰が決めているんでしょうか。
外国の有名サッカー選手たちの奥さんの写真はネット上でも見ることができますが、彼女たちの写真を見ても僕はそこまで美しいとは思えませんでした。ものすごくイケメンのサッカー選手の奥さんがそこまで美人だとは思えない場合のほうが多かったのです。金持ちでイケメンで背も高くて筋肉質なサッカー選手の奥さんがさほど美しくなかったのです。かなり衝撃的でしたね。
美醜の基準は白人と黒人と黄色人種で全然違うんだなと思いましたね。人種間で美醜の基準が違うというよりも、美醜の基準は個人間で違うように思います。
僕個人で言えば、痩せている人よりも太っている人のほうに魅力を感じますし、目が二重の人よりも一重の人のほうが美しく見えるし、色黒の人よりは色白の人のほうが好きです。
白人の間では、肌は薄茶色に日焼けしている人が美人とされていますし、痩せている人のほうが美人ということになっています。
僕の美醜の基準とはまさに正反対ですね。
そういうことを感じてきたので、デンベレ選手から見て日本人の顔が醜いと言われても、僕は特に傷つきませんでした。あぁ、デンベレ選手はそう感じたのね、ふーん、という程度の感想しかありませんでした。
日本人の中には傷ついた人もいるのかもしれませんね。
今回のデンベレ発言騒動を見ていて感じるのは、差別発言を殊更に大きく取り上げて糾弾しようとする雰囲気です。
誰でも失言はするもんだし、失敗を許さないというのでは、息苦しくなるばかりだと感じます。人間は失敗を通していろいろ学んでいくのではないでしょうかね。
デンベレ選手から見て日本人の顔が醜く見えたというだけのことで、日本人の顔が世界基準的にも醜いことが立証されたわけでもないと思います。
でもやっぱり、お前の顔は醜いとか言われたら確かに頭に来てしまいますよね。言われたくはないです。人が傷つくことを言うのは止めてほしいです。傷つくことを言う人とは離れて暮らすのが一番だと思います。僕は価値観が合わない人とは喧嘩せず、対立せず、関わらずに距離を置くという生き方をしています。そんなわけで親とも同居せず、連絡を取り合うこともなくなりました。親子でさえも分かり合えないんだから、黒人のフランス人と分かり合えなくても当たり前ですよね。