我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

ひきこもりその2 もう自助グループ最高\(^o^)/

昨日は中高年を中心としたひきこもりの当事者の集まりに参加してきました。

その集まりの主催者の動画を見た事があるのですが、ひきこもりで生活保護受給者であるにも関わらず堂々としていてこの人は凄いと思って参加しました。

ひきこもりや生活保護受給者は肩身の狭い思いをしている人が多いと思います。

僕も肩身の狭い思いをしています。

なんで肩身の狭い思いをしているのか?

その原因は、

1、マスコミ報道の印象操作

2、政府のひきこもり支援と生活保護受給者削減対策

だと思っています。

マスコミの報道によってひきこもりや生活保護受給者は悪いことをしている人、社会に何の価値も提供していない無価値の人、お荷物、何の役にも立っていない人、というレッテルを貼られています。

でもひきこもりは本当に悪いことをしている人なんでしょうか。椅子取りゲーム(美味しいポストを手に入れる競争)を強要されて負けた敗者なだけだと思います。善悪で考えるのなら、椅子取りゲームに負けた人よりも椅子取りゲーム社会を作っている人やそのをルールを押し付けてくる人の方が悪だと思います。

ひきこもりが社会に提供している価値は、労働組合ストライキに似ていると思います。過去の労働者がストライキによって勝ち取ってきたものがあるからこそ、昔よりも労働条件が良くなっているのではないでしょうか。もし過去の労働者が誰もストライキしていなかったら今でも女工哀史的な職場しかないと思います。

 

話が逸れてしまいましたが、その集まりは普段はもっと多いらしいのですが、今回は10人程度でした。

ちょっと少なくて最初は残念に思っていましたが、円形になって順番に一人ひとり語っていき、3巡もすることができ、濃密な語りの場となりました。

来ていた人はほとんどが当事者で支援者が2人とジャーナリストが1人でしたが、やっぱり当事者の話が一番参考になりました。

支援者は政府から業務を委託されているので、どうしてもひきこもりが求めていない支援に傾きがちです。そこが難しい所だなと思いました。

政府がやっているのはひきこもり当事者の支援というよりも働かせたい親の意向を汲んだものでしかないですからね。当事者にとっては嬉しくない、求めてない支援がほとんどだと思います。もちろんひきこもりと言っても多種多様で政府のやっている支援で幸せになれる人も中にはいるでしょうが、それも全体の1割か良くて2割程度じゃないでしょうかね。

ここでは書けない凄い情報や凄い考え方もいろいろ教えて貰えました。僕より年上でひきこもり歴や生活保護受給歴、精神科通院歴の長い人ばかりでしたから、経験に裏打ちされた生活の知恵というか、サバイバルテクニックには驚嘆させられるばかりでした。

やっぱり本当に凄い話はネットには出てないのかな、人と会って話す機会は大事だな、もっと自助グループに参加していきたいなと思いました。見ず知らずの人にたくさん助けてもらったので、僕もできる範囲で見ず知らずの人の役に立ってみようと思いました。

一番心を撃たれたのは、八百屋で買った大根は食べてもいいし、食べなくてもいい、食べない権利もある、捨ててもいいという例え話でした。目から鱗が落ちる思いでした。

シンガポール出身の人も来ていたのですが、シンガポールも日本と同じで生き辛さに満ちた国らしく、先進国はどこも似たような状態らしいと聞いて妙に納得しました。庶民の苦しみはどの国も似たようなものなんだなと思いました。シンガポール人とは初めて話したのですが、最初から深く分かり合うことができました。国際金融資本が国境を越えて繋がっているように、国際金融資本によって苦しめられている庶民も国境を越えて繋がって行ってもいいなと思いました。