我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「ありのままの自分を受け入れる」その12 本当は育児にあまり興味がなかった…

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かなさんと本音で語り合う。   (出典:いらすとや)

今日は夜にかなさんと深い話ができました。

僕は最近疲れた感じでよく溜め息をついていると。

そしてかなさんに対してありがとうとか言っているけど違和感があるから言わなくてもいいと。

そんなところからお互いに思っていた事を打ち明け合う事ができました。

僕は今までかなり無理して子育てに参加していました。

子育てにはあまり興味がないのに、かなさんだけに負担を掛けては申し訳ないと思い、夜中に一緒に起きて粉ミルクを溶かしたり哺乳瓶を洗ったり煮沸したりしていました。

しかし、その結果、疲れが溜まってしまって、溜め息が出るような状態にまでなっていました。

いろいろ話し合った結果、僕は無理して夜中に手伝わなくてもいいという事になりました。

僕は元々夜勤の仕事は苦手でした。新聞配達の仕事も山崎パンの工場での仕事も本当に辛くて長続きできませんでした。

僕が違和感なく無理せずできる事だけを当面の間やっていく事になりました。

僕がやる事は買い物、洗濯、食事の後片付け、役所等手続き関係に絞られました。

苦手でやりたくない事を無理して義務感や罪悪感からやってもかなさんを喜ばせる事はできないんだという事が話し合いの中で分かりました。

そんなわけで一番苦手だったおむつ替えはやらなくて済む事になり、夜中の赤ちゃんのお世話もかなさんから緊急で頼まれるとき以外はかなさんに一任させて頂く事になりました。

かなさんに負担を掛け過ぎるとかなさんがパンクし、産後鬱や育児ノイローゼになってはいけないと思って頑張ってきた結果、僕の方が慢性疲労で溜め息をつくようになってしまいました。

情けないですがやれることをやるしかないし、かなさんがそれでOKしてくれたのだから罪悪感を持つことなくある程度かなさんにやってもらおうと思いました。

僕はかなさんに負担を掛けてはいけないと思って必死に頑張っていましたが、それは思い返せば僕の生まれ育った家庭に起源があるように思います。

僕の父は家事は一切やらない人で亭主関白でした。女は外で働くなんて以ての外で専業主婦しか認めないという価値観でした。もし外で働きたいなら家事と育児を完璧にこなした土台の上でなら渋々認めるという価値観でした。

僕の父は喧嘩っ早い人でしたから会社でよく喧嘩し、短期間で辞めてしまう事が多かったそうです。

それで母は父から生活費がもらえない月がある事もしょっちゅうで、生活費がもらえない月はこれからどうやってやりくりしようという不安と恐怖で頭が一杯だったそうです。

その結果、母は生活費や子供たちの学費を稼ぐためにやむを得ず働きに出る事になりました。

当然家事と育児を完璧にこなした土台の上でなければなりませんでした。

母は当時、家事、育児、仕事を一手に引き受けて頑張っていました。

母が仕事を始めても家事をしない父に対して母は不満を持つようになっていきました。

僕も母だけが大きな負担を抱えて、父は毎晩酒を飲んでは怒鳴り散らす、殴るという家庭で育ち、こんな父親にはなるまいと心の中で固く決意しながら育ちました。

そんな思いがかなさんとの生活でも現れてきたんだと思います。