コロナその11 不安と恐怖
最近よく耳にする言葉で気になっている言葉が「不安と恐怖」です。
僕はテレビを持っていなくて新聞も取ってないので情報源と言えばネットと本と人だけです。ほとんどの情報入手経路がネットです。
ネットからの情報収集によると、今のコロナ騒動で少なからぬ人が「不安と恐怖」に悩まされているらしいです。
でも僕の身近な人、普段接する人の中には不安や恐怖に悩んでいる人が一人もいないので、ほんとなのかなぁ…という気持ちです。
今の時期、不安と恐怖で困っている人って本当にいるんでしょうか?
実を言うと、僕は今不安や恐怖を全く感じていません。
生活保護というある意味では恵まれた立場というか不況に強い収入源があるというのも大きいのかもしれません。
でも生活保護はいつ打ち切られても全く困らないし、生活保護が打ち切られる不安や恐怖もありません。
僕が推測するに、不安や恐怖で悩んでいらっしゃる人の原因の多くは、収入源など金銭的な物が大きいのではないかと思います。
僕も担当のケースワーカーの胸先三寸ですぐさま収入が絶たれる立場ですから不安になろうとすれば不安になれるのかもしれません。
僕が不安にならないのは、多分、死に対する捉え方が普通の人と違うからなのかもしれません。
お医者さんを始めとして多くの方が、「死=敗北、悲しみ、負け、屈辱」と捉えていらっしゃるような感じがします。
でも本当にそうでしょうか。
僕はどうしてもそうは思えないんですよ。
臨死体験や神秘体験、輪廻転生、胎内記憶、前世記憶、覚醒体験などをいろいろ調べてみてハッキリわかったのは、死というのはロールプレイングゲームのクリアに該当するものなんだなという事でした。
つまり「死=クリア、成功、勝利、ゴールイン、最高の幸せ、最高の喜び、栄光」だと感じています。
この考え方が正しいか間違っているかは分かりません。しかし、現時点では僕は正しいと思っています。だからと言ってこの考え方を他の人に押し付けるつもりもありません。どの考え方を選ぶのもその人の自由だと思います。
僕の死生観がこのようになった結果、収入が無くなる事やお金が無くなる事、食べれなくなる事に対する不安や恐怖は全くなくなってしまいました。
すべては生まれる前の計画によって決まっているんだという考え方です。
早死にを計画していたらどんなに最高の医療を受けても死ぬし、長生きする事を計画していたら嫌でも長生きしなければならないと思います。
僕の中では死に対する捉え方が今の社会での一番の洗脳だと感じています。
コロナによる感染者数が何人、死者が何人、医療崩壊がどうのこうのとひたすらマスコミが煽っていますが、張子の虎を見せて不安や恐怖を煽ろうとしている姿は滑稽その物ですね。
ディープステートの支配が終わろうとしているのに、未だにディープステートの覚えをめでたくするためにはしゃいでる政治家も滑稽を通り越して憐れさすら感じます。