「ありのままの自分を受け入れる」その6 母親との関係の変化
先日良い事があったんですよ。
4月4日に母親とLINEでいいやり取りができたんですよね。
母親とは確か1年ほど前にLINEのやりとりで決裂していました。
なぜLINEばかりなのかと言うと、母は今マレーシアに住んでいるので連絡手段がLINEとメールぐらいしかないんですよ。住所や電話番号も分かりません。度重なる引越と携帯電話の機種変更で分からなくなりました。
LINEでの決裂の後、お互い連絡を取り合うのは止めていました。
ところが、先日妹から連絡があって、母が僕と連絡を取ろうとしているけど連絡が取れない(返事が来ない)という話を聞きました。
連絡なんて来てないはずだけどな…と思ってLINEを見てみたら久しぶりに母からLINEが来ていました。
僕はその時(4月4日)、4月5日の世界同時瞑想をとても重視していて、その予習や準備をしっかりやろうとしていました。そんな糞忙しい時になんでまたLINEを送って来るんだという思いがありました。また小言を言われるか嫌な思いをさせられて、瞑想の事前準備を妨害されるのかとうんざり気味でした。
しかし、思い切ってLINEメッセージを読んでみると、子供の誕生を喜んでくれていて、経済的支援をしようかという内容でした。(経済的支援は生活保護中なので丁重に断りました)
1年前の決裂では、もうお母さんと僕は別々の道をそれぞれ歩いていこうと僕の方から決裂を提案して喧嘩別れ気味になっていただけに、母の急激な変化にはとても驚きました。
母に対して何かしたわけでもないのにこの大変化は何なんだ…と思い、考えてみました。
やっぱり多分、ありのままの自分を受け入れる気持ちや意識が深化し、僕のその意識エネルギーがエネルギー場で母の意識エネルギーに良い影響を与えたと見るのが妥当かなと直感的に思いました。それ以外に理由が考えられません。
ありのままの自分を受け入れられるようになるにつれて、だんだんと母親に対する見方が変化して行きました。
支配・管理・要求・暴力・脅迫・強制・強要・無理解・無慈悲な毒親、子供の自己肯定感・自尊感情・自信・勇気・行動力・気力等を根こそぎ奪い取り、何をやっても上手く行かないプログラムを潜在意識に刷り込んできた毒親という見方がだんだん変わっていきました。
彼女は僕よりももっと辛く過酷で大変な人生を通過してきた人であり、僕以上の虐待や暴力や脅迫を受けてきた被害者であり同志でありサバイバーであり、泥沼の中を血みどろになりながら這い上がってきた勇者であり虐待サバイバーとしての大先輩なんだという側面の方が僕の中で大きくなりました。あえて地獄の底に飛び込み、そこを突破して生き残った特攻隊員なんだと実感し、心から尊敬の念を持てるようになりました。
まだまだ彼女に対して感謝の気持ちや愛情の面は乏しいですが、一人の人間として本当に尊敬できるし彼女の生き方や人生や価値観や考え方は尊重していこうと思うようになりました。(でも彼女に従う事は意味していませんが…)