我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

僕がなぜまだ結婚や入籍をしないのか

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今我が家の郵便ポストには両方の名字が書いてあります。

今日はなぜ僕が結婚や入籍をしていないのか、自問自答してみたいと思います。

なぜ僕がかなさんと一緒に暮らしながらも結婚せず、子供ができながらも入籍もしていないのか…

一言では言えない色々な理由があります。

一番大きいのは、僕もかなさんも今の所、結婚や入籍はまだいいかなと思っていることです。

どちらかが結婚や入籍に積極的ならすでにしていると思います。

お互いにそういう制度とか法律にはあまり興味がなく、今のままで特に不都合や不満もないし、このままで今の所いいかなと思っているところです。

だから、明確な意図を持って結婚や入籍を拒否しているわけではなく、これからどうしていくかはこれから二人で考えていく事だと思っています。

ぶっちゃけて言えば、迷いながら手探りで進んでいる感じでしょうか。

 

元々僕は結婚願望がそれほどありませんでした。

と言うのも、親の夫婦仲が物凄く悪く、結婚しても幸せになる事はできないと思っていたからです。つまり結婚への憧れがないんです。

やっぱり親の影響は大きいですね。

母親の話によると、父親は喧嘩っ早い人で会社でもしょっちゅう喧嘩していたようです。入社して1~2ヶ月で喧嘩して会社を辞めてしまうので、ボーナスをまともにもらった記憶がほぼなかったようです。それで母親はいつもお金の心配が尽きなかったようです。心配とか不安という次元ではなく、もはや生活できなくなるかもしれないという恐怖のようでした。

そのような生い立ちから僕に埋め込まれてしまった価値観は、男は稼ぎが悪いと妻に不安や恐怖を与え、軽蔑もされ、夫婦喧嘩が絶えなくなり、そのストレスのはけ口が子供への暴力と精神的コントロールになる、という事でした。

母親が父親からの暴力に耐え忍んでいるのを見て、僕も妹も、もう我慢しなくていいよ、離婚しなよと勧めました。妹は役所から離婚届を貰って来て母親に渡したらしいです。それでも母親は暴力に耐えながら必死に僕と妹二人を育ててくれました。一人で家事、育児、正社員の仕事をやっていました。僕の高校時代の弁当も毎日作ってくれていました。

そんな母親がなぜ離婚できなかったのか…

ある日母親が一言ポロッと漏らした言葉が今でも忘れられません。

「お母さんがどうして離婚しないのか分かる?」

「…うぅん、わかんない。」

「お金よ… 〇〇おじさん(僕の父親のお兄さん)のビルに安く(3万円で)住ませてもらえてるからやっていけてるのよ。そうじゃなかったら無理。だから離婚できないのよ…」

(そっかぁ… そうだったのか… お金… )

愛媛の田舎から東京に出てきた母親は、本当は四年制大学に行きたかったと言っていました。しかし、当時は女性が東京に出て行くなんてけしからん、四年制大学なんて以ての外だと親から大反対され、泣く泣く短大に妥協して東京行きだけを認めさせたそうです。

そんな母親でしたから、自分の子供には四年制大学に行かせてやりたいと思い、大学に入れて卒業させるまでは親の責任と思ってやり抜いてくれました。家事・育児・正社員の仕事・子供たちの弁当作りを一人でやり抜き、父親からの収入をほぼ当てにせずに3人の子供を大学に入れてしまいました。僕は一浪までさせてもらって私立の四年制大学に、二人の妹は私立の短大と国立の四年制大学奨学金なしで行かせてもらいました。本当に人間離れした驚異的な偉業だったと思います。

話が僕の結婚から母親の話に逸れてしまいましたが、僕から見たら父親も母親も辛そうで苦しそうで大変そうで悲しそうで寂しそうでした。父親も母親も怒りと悲しみと不安とストレスに満たされていました。

からしたら、結婚とか家庭という物は地獄への入り口にすら見えていたのです。

母親の価値観は一個人の考え方に過ぎないのに、すべての女性がそういう価値観に違いないと思い込み、女性と付き合うためには一人前の稼ぎを得られるようにならなければならない、そうじゃないと女性を幸せにする事も子供を幸せにする事もできないと思ってきました。

そういうわけで、大人になってからも結婚や入籍は他人事として関心がありませんでした。

それに、結婚や入籍を考えるような相手もいませんでしたしね。

 

そんな父親ですが、なぜかそれなりにモテていたようです。

浮気相手がどうだったとか、僕に自慢話をする事もありました。

男はやっぱり一人の女性では満足する事はできないのかなぁ…と思ったものでした。

身近な人を見ても、知り合いの話を聞いても、芸能人のゴシップ記事を見ても、やはりホモサピエンスという哺乳類は一対一では満足できない種なのではないか…という気持ちもあります。

それにも関わらず、一生この人しか愛しませんと誓い合う結婚という物はなんだか嘘臭いような気もしています。

今僕がかなさんと暮らしているのは、かなさんが好きだし、かなさんも僕が好きだから。一緒に暮らしていて楽しいし上手く行っているから。理由はこれだけです。僕とかなさんの間に結婚や入籍という制度や法律が入り込もうとして来ることに違和感を感じます。なんで男女の間柄を法律や制度で縛ったりがんじがらめにしようとするんだという思いがあります。男女の間柄は愛情、尊敬、尊重、感謝、信頼などの究極に精神的な物だと思います。

僕もかなさんもお互いがお互いを縛らず、自由意志を尊重し合うという気持ちを持っており、その結果が今の状態になっています。

僕の本音は、結婚と言う制度は配偶者の所有制度だと思っているんです。配偶者の自由意志と自由行動を束縛するのはどうかなと思っているんです。もしかなさんに僕よりも好きな男性ができたら、その男性と上手く行くように応援するつもりです。かなさんがどう生きるかはかなさんの選ぶことであり、僕に拘束する権利はないと思っています。僕の中では「所有」という文化こそ諸悪の根源であり、人類を不幸にする原点だと思っています。所有等と言う古い価値観は捨て去り、シェアという新しい価値観で人類がみんなで幸せになれるのではないかと思っています。

 

でも、4月下旬には子供が生まれる予定です。その子の名字をどうするかという問題もあるので、ベストな道をかなさんと一緒に考えていこうと思っています。