我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

みんなの子供なんだからみんなで育てる

「みんなの子供なんだからみんなで育てる」。

これでいいんじゃないでしょうか?

「自分で産んだ子供は自分で育てなければならない」。

「産んだ以上、自分で責任を持って育てなければならない」。

これはキツくないですか?キツイですよ。

育児ノイローゼにもなりますよ。子供を叩きたくもなりますし、殺したくもなりますよね。

子供を自分で育てたい人は自分で育てたらいいと思います。

けれど、子育てに興味がない人とか、子育てをするお金がない人とか、子育てをする時間がない人とか、子育てに飽きた人とか、子育てに疲れた人とかは、子供を育てたい人に任せるとか乳児院に預けるとかしたらいいのではないでしょうか。

あとは、母子家庭が無料で泊まれる家、離婚した母子家庭が衣食住を無料で提供される場所がたくさんあったらいいですよね。

もっと気軽に離婚できるようになったらいいですよね。気軽に母子家庭になれる、という状況になれば、家庭内暴力(DV)はだいぶ減るのではないでしょうか。

夫や配偶者に衣食住やお金を依存している状況だと逆らえない。逆らえば家を出なければならない。家を出たら寒空の下、路上生活をしなければならない。こういった状況ではどんなに暴力が酷くてもそれに耐えるしかなくなります。

 経済的事情により別れられない、暴力を受け続けながらも離婚できない…。こんな地獄、もうやめにしませんか。親が苦しい心境でまともな子育てができるとは思えません。

そもそも、子育て初心者の親よりも、乳児院で働いている人の方が経験もあり、子育ては確実に慣れているし上手いと思いますし、いい育て方ができると思います。乳児院で育てられれば、親からいろいろな事を押し付けられない分、自己肯定感を損傷する事もなく、いい育ち方をするような気がするんですよね…。

子供も自由に家出できるようになったらいいなぁと思います。

家出したら路上で餓死しなければならないとなると、なかなか家出できません。

でも衣食住無料の家がたくさんあって、親からの暴力や虐待が嫌になったら気軽に家出できる、という状況になれば親もそう簡単に暴力も虐待もやりにくくなります。逃げられちゃいますからね。

自分の子供だけを大切にし、すぐ横に飢えている子供が餓死しかかっていても、「自分の子供じゃないから関係ない。これは行政の仕事だから自分は関係ない」と冷静に見殺しにしているのが今の日本だと思います。

血が繋がっていようがいまいが、「みんなの子供なんだからみんなで大切にする」という社会の方がいいと思いませんか?

生まれる前はみんな絶対無限の存在で一つだったわけです。それを考えたら血の繋がりが濃いか薄いかとか大した事じゃないと思いませんか。

みんなの子供なんだから、父親が誰かとか詮索する必要もないと思います。父親が誰だっていいじゃないですか。異父兄弟でいいじゃないですか。母親がいろいろな男性と性関係を持って、誰の子供か分からなくなってもいいじゃないですか。みんなの子供なんだからみんなで育てる。母親がいろいろな男性と性関係を持つと、「不倫だ!」と騒ぎ立てる人もいますが、「この子は私の子じゃないから横で餓死してても見殺しにします」人の方がよっぽど倫理的じゃない、非倫理、非倫だと思います。

「みんなの子供なんだからみんなで育てる共同体」を解体し、小さな核家族に分断して統治したがっている人たちがいるんでしょうね。