我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

むっつりスケベ

私がなぜ続けざまにブログでグロテスクな事(殺人、拷問、復讐、虐待、中絶、告白、恋愛、セックスなどなど…)を書き続けているかというと、自分の中の美しい部分だけでなく、自分の中の最も醜い(と思っている)部分をも含めて、自分のすべてを自分が受け入れられるか、ありのままの自分を自分が愛する事ができるかどうか、を試しているからです。

自分はもしかして、自分の中の一部を嫌っているのではないか、愛していないのではないか、と思うようになりました。

心の中で、「自分の醜い部分も愛しました、受け入れました」と口先だけで言っても、自分で自分を本当に受け入れられたのか、愛しているのか判別がつきにくいと思いました。

それで、自分が醜いと思っている部分をブログと言う形で自分の外側に出してみて、それをまじまじと見つめてみる、読み返してみる、ということをやってみようと思ったんです。

ブログで自分の醜い部分を晒せば、当然、キモい…薄気味悪い…怖い…と思われ、友達も家族も自分によくしてくれていた人たちも蜘蛛の子を散らすように去ってしまうだろうという予測もありました。

でも、それでもいいと思いました。

それでも仕方ない、と思いました。

自分の良い面だけを見せて、その部分だけが「内海大輔」の全てだと思われていたのでは、ちょっと違うなと思ったんです。自分はそんな素晴らしい部分だけじゃないんですよ、と言いたくなったのもあります。

前置きが長くなりましたが、本題に入って行きたいと思います。

僕はむっつりスケベです。

とうとう言ってしまいました…。もうバレていたのかもしれませんが…。

女性が好きです。

好きなタイプの女性を見たらすぐにスカートをめくりたくなります。すぐにセックスをしたくなります。

でもずっと我慢してきました。

相手の自由意志を尊重したのです。

「私はそこまであなたの事は好きじゃないし、セックスまでしたいとは思えません」という相手の意志を尊重して生きてきました。自分が我慢さえすれば丸く収まるなら身を引こうという価値観がありました。

相手の自由意志を踏み躙ってまでレイプしたいとは思えませんでした…。

体が小さくて腕力もないので、もしレイプしようとしても多分失敗していたと思います…。

警察を恐れていたというのもあります。警察に捕まらない方法を思いつく知恵もなかったのでできませんでした。

今の社会では、「性欲がある」事とか、「セックスしたい」事とかが、「醜い」事や「恥ずかしい」事であるとされています。「セックスに興味のない草食系男子こそスマートだ」とか。「セックスしたいだなんていい年して発情した猿みたいだな」とか。

まだ高校生なんだからセックスなんて以ての外だ!とか。まだ小学生なんだからセックスなんて以ての外だ!などと決め付けられて、議論のテーブルに乗る事さえありません。

「自分で産んだ子は自分で育てなければならない」という縛りがあるから中学生だと出産できないんですよね。本人が育てられなければみんなで育てればいいじゃないですか。みんなの子供なんだからみんなで育てる、これでいいんじゃないですか?血が繋がっていない子供はすぐ横で餓死していても冷静に見殺しにする社会、こっちの方が狂気じみた社会だと思うんですが…。

性欲が一番強いのは10代ですよね…。性欲がだいぶ衰えてきた20代後半や30代になってからようやく結婚してようやくセックスできるとかって、かなりおかしなことだと思います。

性を「タブー」にしたり、性を「恥ずかしいもの」にする事で、隠れて行わなければならなくなり、その結果性産業に頼らざるを得なくなり、膨大な搾取が行われているように感じます。

なんで「性」や「性欲」や「セックス」は恥ずかしいものなんですか?

よくよく考えてみたら、根拠がよく分からなくなりました。

人間の三大欲望、食欲、睡眠欲、性欲。

食欲と睡眠欲はいくら追求してもいかがわしいとは言われない。いやらしいとも言われない。

しかし性欲を追求した途端、いかがわしい、いやらしい、醜い、恥ずかしい、破廉恥だ…というレッテルを貼られる…。

性欲は悪い欲望なのでしょうか。利己的な欲望なのでしょうか。

食欲を満たそうとすると、たくさんの動植物の命を奪わなければなりません。

でも、性欲を満たそうとするとき、動植物の命を奪う必要はありません。

どちらが利己的な欲望なのでしょうか。

食欲を満たすとき、動植物の命を奪い、エネルギーを奪っている。エネルギーバンパイアとなって、そのエネルギーを自分の体内に取り込んでいる。

性欲を満たすとき、相手に快楽や楽しみ、生きる喜びすら与える事もある。相手の自由意志を尊重しないレイプは相手からエネルギーを奪う事になりかねないが、両性の合意の下ならエネルギーを与え合う事にもなる。地球に新しい生命を誕生させる事に貢献できることもある。いくらセックスしても動植物の命は一つも奪っていない。

食欲と性欲では食欲の方が利己的な欲望なのではないでしょうか。

しかし、自分の生命を維持する必要を超えたグルメを追求しても「醜い」とは言われないし、「いかがわしい」とも言われません。美味しいという快楽を追求した後、ダイエットのためにトイレで吐いてもいやらしいとも醜いとも言われません。

一方で、生命を生み出す目的のためのセックスは美しいが、快楽が目的のセックスは「いかがわしい」し「醜い」し「エゴ」で「自己中」だと。

セックスよりも食事の方がよっぽでエゴで自己中じゃないですか?

セックスは利己的だから恥ずかしい行為なのでしょうか。レイプのような利己的なセックスは確かに恥ずかしい行為でしょう。しかし、相手も自分も幸せになれる利他的なセックスは恥ずかしい行為ではないし、隠す必要もないのではないでしょうか。

道徳や宗教で性欲の追求は恥ずかしい事だという考え方を流布して、不倫や浮気をしている芸能人をテレビと新聞で取り上げて性欲の追求は恥ずかしい事だと思い込ませる。

これこそが核心的洗脳でありマインドコントロールであって、洗脳とマインドコントロールオウム真理教統一教会だけの専売特許なのではなく、テレビや週刊誌、道徳や倫理を教えている宗教団体や学校もやっている事だと思います。