虐待サバイバー
先日、ごちゃまぜの家に遊びに行ってきました。
えっ!?内海さん、喧嘩別れしたんじゃないの!?と思われましたでしょうか?
僕は別に喧嘩別れしてませんよ。喧嘩もしていません。
喧嘩ができるような高度なコミュニケーションスキルがあったら、ごちゃまぜの家に居続けられたでしょうし、ホームレス自立支援施設になんて来なくていいし、彼女だってできていたかもしれません。
だから坂爪圭吾さんや管理人の稲村彰人さんにも普通に御挨拶できましたし、よしえさんやみやのさんやかなさんにも普通に会話できました。
ごちゃまぜの家に来る人は個性のはっきりした人が多くて、話していて楽しくなります。先日もごちゃまぜの家に来ていた女性と話していて、凄く面白かったです。
その中で一番心に残っている言葉がありました。
「虐待サバイバー」という言葉でした。
この言葉、凄くいいなぁと思いました。
虐待を掻い潜りながら生き延びてきた、というニュアンスを感じました。
僕自身が虐待サバイバーなので、この言葉いい!と思いました。
虐待を受けてしまうと、よほどの事がない限り、一生、生き辛さを抱えたまま生きる事になります。諺にもあるじゃないですか、「三つ子の魂百まで」と。
三歳までに虐待を受けてしまったら100歳まで助かりませんよと。
生き辛さにはいろいろあると思いますが、僕自身の生き辛さを言葉で無理やり表現してみるとすると、大失恋直後のようなショックと心の傷のようなものをずっと抱えたまま生き続けるような感じでしょうか。常に心が傷ついている状態ですね。常に大失恋直後のような悲しみと苦しみを抱えているわけですから、常に死にたいと思っているわけです。
ですから、虐待を受けて毎日死にたいと思っていながら、生き延びちゃっている人を見つけると、よく今まで自殺せずに生きてきましたね…という気持ちになります。
失恋ならまた恋人ができたら癒えるかもしれませんが、虐待サバイバーの心の傷というのはなかなか癒えません。「インナーチャイルドの癒し」というので癒える事もあるようですが、癒すのが難しくて途中で止めてしまう人がほとんどなのではないでしょうか。
「心の傷」なんて、そんな事ぐらいで泣き言言ってんじゃねーよ、甘ったれた事言ってんじゃねーよ、手がない足がないという状況で頑張ってる人もいるんだから、と思われる方がほとんどだと思います。仕方ないですよね。心の傷なんて目に見えませんから。でも、僕はいつか「心の傷」ももっと詳しく解明されてくると思っています。
人間の肉体というのは目に見える物質的な肉体だけではなく、目に見えない別の次元の体も重なり合う多重構造だという意見もあります。つまり、物質的な肉体に重なるように「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」「コーザル体」などがあり、「心の傷」というのはそちらの体に損傷を受けている可能性があるのです。
目に見えない分野はまだ科学的な解明のメスが及んでいませんが、科学の発達に伴って随時解明されていくように思います。今の科学が解明できてる範囲は宇宙の中のごく一部分ですから。
僕を虐待したのは僕の親です。
親をまだ恨んでいるか、憎んでいるか、と聞かれれば、顕在意識では恨みも憎しみもなく、許しています。しかし潜在意識では分かりません。というのも、自分では無意識にやってしまう行動や、感情をかき乱される出来事が親子関係に起因していると思わざるを得ないものがあるからです。
親の話を聞いたところによると、親はその親から僕よりももっと酷い虐待を受けていた事が判明しました。
それだけ酷い虐待を受けていたら、僕への扱いもまぁそうなるだろうなと思いました。彼らの事情が理解できたのです。
それで彼らへの憎しみ、恨みが融けたのです。
まさに負の連鎖、カルマの連鎖というのでしょうか。
親から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へと虐待の連鎖があったのです…。
なんて惑星なんだ…。地球…。
そしてそんな星に来ようと思った俺…。頭おかしいとしか思えない…。
とりあえず今、僕は親とは一定の距離をおいています。
親子にも適切な距離感というのがあるのかもしれません。
地球も太陽に近づき過ぎては焼け死んでしまいますからね…。