我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

高校時代その5 進路選択

高校時代その5 進路選択

(股間に無駄にぶら下がってて俺を苦しめ続ける御袋さんを切り取って、棒だけ残して性欲を0にするか…。そうすれば精子も生産されなくなるし、もう性欲に悩まされる事がなくなりそうだな…。でもなかなか決意し切れない…。そんな痛い手術に大金を払ってまで生き続ける事に何か意味はあるのか…? 女と楽しそうに会話している奴が羨ましい、憎い、悔しい…。でもどうすることもできない…。苦しい…。苦し過ぎる…。辛すぎる…。こんなに苦しいなら死んだ方がマシだ。でも自殺する勇気もない。自殺ってなんか怖いし、痛そうだし、未遂になったら苦しそうだし…。なかなか決意できない…。)

母「大輔、あんたまだ死にたいなんて思ってんの?」

大輔「そうだけどね…」

母「…。あんた大学行きなさい。大学行って楽しいことすれば死にたいなんて思わなくなるわよ」

大輔(確かに、大学ってなんか学問をする場というよりも、恋愛とバイトの場という風潮を感じるし、バイトしながら恋愛、というのも悪くないな。恋愛はしてみたいかも…)

大輔「わかったよ。大学行く事にするよ」

大輔(大学行くって言ったけど、大学で勉強したいことなんてないよ。宇宙を貫く究極の法則については凄い興味があるけど、物理や地学は1だったし苦手だし、そもそも物理や地学は難し過ぎて詰まらなかったし興味もなかったし…。高校の勉強も難しいだけで詰まらない…。勉強する気も起きない…。こんなんじゃ大学も受からない気がする…)

1年後…全敗。

母「1年だけ浪人してみる?」

大輔「うん、頑張ってみる…」

結局、浪人したのに受験勉強には興味が湧かず、勉強できず…。

もう浪人することはできなかったし、自分もこれ以上浪人したくもなかったので、
途中で理系から文系に文転する。
(理科が苦手だったため、英数理から英数国に受験科目を変更した)

1年後…大学で学びたいことがあったわけではなかったので(大学でやりたかったのは彼女を作ってセックスすることだった…)、いろいろな学部学科で、自分の学力で受かりそうな所を手当たり次第に受験。

滑り止め1校だけ合格。

1993年4月東洋大学経営学経営学科に入学…。