我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「愛」と「ビジネス」

「もどってきたアミ」を読了しました。

この本は子供向けに書かれているようですが、
大人の自分が読んでも、
あまりにも深い内容が書いてあり、
心にズッシリと来るものがありました。

物凄く濃密な内容でした。

あまりに濃い内容だったので
思わず「読了」なんて言葉を使ってしまいました。

1作目の「アミ 小さな宇宙人」は
楽しくサラッと読めましたが、
この2作目はヘビーでした。

1作目を読んだときは、
僕は宇宙人や輪廻に関してそれなりに知っているし、
地球人の中では覚醒している部類に入っていると思って、
知らない人を見下しているところもありました。

今は行動はできてないけど、心の奥に愛はあるから、
愛の度数も高いに違いない、なんて思っていました。

でも、叡智も愛も実は大したことないという事に気付いて
ショックでしたね…。
むしろいろいろな欠点を持っているという現実…。

あと、軍事力もお金もたくさん持っている人に
この知識を知った僕らが教えていかないといけない、
というような話もあり、驚きました。
彼らが僕らのような庶民に耳を貸すわけがないと思いました。

聴く耳を持たない彼らが自分で気付けるように、
ほのめかすとか、直接言わずに小説にしたり、
絵本にしたり、漫画にしたり、
そういうような工夫をしていく必要があるんだろうな
と思いました。

あとは、常日頃からの疑問なのですが、
進化した文明世界ではお金はなくなり、
すべてをコンピューターで管理して
家族のように全てを分かち合う世界である、
ということを知っているはずの
スピリチュアルヒーラー、カウンセラー、
サイキック、セラピストといった人たちが
高額なセッション料金や高額な受講費を徴収している現実を
どのように捉えていったらいいんだろうという
悲しい疑問が拭えませんでした。

愛とは奉仕ですよね…。

価値を提供しお金を頂く、という行為は
奉仕ではなく価値の交換、単なる取引に過ぎません。

ビジネスをしている時点で、
奉仕はしたくありません、
物物交換ならいいですよ、
と言っているようなもんだと思うんです。

これは愛とは程遠い行為ですよね。

愛は語るものではなく、
黙って行うものだと思うのは間違いでしょうか。

愛を語る人が顧客から大金を巻き上げて、
結果として顧客を苦しめることになったり、
借金まみれにさせたりしている現実は、
どのように理解していけばいいのでしょうか。

家族をヒーリングするのにお金を取るでしょうか。

家族をセッションするのにお金を取るでしょうか。

お金を取る時点で
「貴方は家族ではなく結局他人です。
ぶっちゃけ養分です」
と言っているのと同じな気がします。