我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

書評その139 ナリワイをつくる ~人生を盗まれない働き方~ 伊藤洋志著

ナリワイとは、「生活の充実から仕事を生み出す手法」である。これが著者の定義ですが、大雑把に言うと、生活に密着したお手伝い的な事をして月3万円ぐらいの報酬をもらうようなことを複数やることです。つまり大きな元手なしで始められる小規模な自営業ということです。

著者が実際にやっているナリワイは、モンゴル武者修行ツアー(モンゴルで現地の人の生活を体験するワークショップ)、床の張り替え、シェアオフィス、シェア別荘、木造校舎での結婚式などです。

僕も著者のようにナリワイをいくつか作りたいと思ったので、ナリワイの作り方を以下に抜粋しておき、見返していこうと思います。

P.126

 私がよくやる鍛錬方法は、「無駄なもの」や「こういうものがあったらいい」というアイデアを書きまくる作業である。ポスト・イットに書いて貼って、眺めて、似ているのを集めて分類する。落書きみたいにして、書き込んでもよい。これは、「KJ法」(川喜田二郎氏考案)という文化人類学の調査で使われるやり方を利用してやっている。厳密に踏襲していないので、「なんちゃってKJ法」だが。作業といっても、ポイントは遊び感覚でやることと、真面目なテーマにしないこと。こういうのは、仕事に悩んで切羽詰まっているときにやっても、あまりいいアイデアが出てこない。なんなら軽くお酒でも飲みながらやってもいい。あるいは温泉宿でやるのも一興であろう。ただ、会議室はお勧めしない。日常の発想から抜け出せないから、あまりうまくいかないと思う。

P.129

 例えば、「ふんどしが流行る」と予想したら、何をすればよいか考える。これが第1段階。まず自分でふんどしをつくってもよいだろう。ここで自分がつくるのが下手だったとしても気にする必要はない。作り手に器用不器用は関係ないし、つくる以外にもやる仕事はある。各地に眠るふんどしの工房をスカウトしてふんどしのセレクトショップを開いてもよいかもしれない(家賃がかかるが)。または、ふんどしぐらいみんな自分でつくれるやろ、ということで、作り方を本にまとめて販売する、というのも一つの手である。なんやかんや、独学は厳しい、ということで、集まってふんどしをつくる会を企画して、参加費をいただいてもよいかもしれない。いやいや、それより全国のふんどし関連の情報を集めて会報を発行して月会費を集めて仕事にしよう、というのもいけるかもしれない(さすがにいきなりは厳しいか)。このようにふんどし一つをとっても、ナリワイの形は色んな選択肢がある。どれが成立するのかは分からないが、何も製品をつくるのだけが仕事ではない、ということは押さえておきたいポイントである。また、どれがナリワイに適しているかも考えてみる。「お店を開く」のようなものではなく、家賃などの固定費があまりかからない方法を考えてみることが必要になってくるだろう。

 このように、様々なやり方が考えられるが、まず最初に何ができるか、というと、この場合は、自分でふんどしをつくって使ってみる、ということが必要不可欠だろう。自分が使って、こりゃええわ、とならないと自信をもって友人や他人に勧めることができない。それができないなら、ナリワイにはなり得ない。

P.130

 第2段階としては、考えた仕事がどういう価値を持つか、という視点で考えることである。例えば、先に挙げた例で言えば以下のように考えられる。

 つくる→役立つ物を製作して提供する、人の代わりに物をつくる、人がつくれないような優れたデザインを考える

 販売する→他人の代わりに物を選択して運ぶ

 作り方の本を出す→やり方を研究して誰でもつくれるような形にまとめる

 メディアを運営する→情報をまとめて共有できるようにする、同好の人が情報交換できるようにする(ただし、ウェブマガジンなどは、単体で仕事にするのは難しいかも)

 ワークショップを企画運営→人が集まって、技術を身につけられる場所と機会をつくる

 材料をつくる→ふんどしに最適な布をつくることで、ふんどしをつくる人の環境を整備する

P.133

 第3段階としては、選んだナリワイの価値が実現するという証拠を揃えることが必要だ。

 これも「ふんどしをつくって売る」を例にして考えよう。デザインもいいし、体に負担をかけないふんどしをつくった! というところまで来た、としよう。自分で着てみて、申し分もない。では、次はいかにしてそのすばらしいふんどしを、見知らぬ人に必要だと思ってもらえるのか、という点である。それには証拠が必要である。人に何かをすすめるときに「すばらしいのでぜひ!」とメールやTwitterで言ってしまうこともあるかもしれないが、これはあまりよくない。理由が書かれていないので、初めて聞いた人には何が素晴らしいのやら分からないのである。

 証拠と言っても、そんなに難しいものではなく、使った人の感想などに代表される他人からの評価であったり、有無を言わさぬかっこいい写真なのかもしれない。写真や感想のほかには、ふんどしが身体にいかに負荷をかけない下着なのかを調べた科学研究でもよいし、歴史的になぜふんどしが選ばれて来たか、という過去のエピソードでもよい。ふんどしの場合は、ふんどし自体がまだ一般的ではないので、自分のつくったふんどしの前に、ふんどし自体のよさを示す証拠も役立つだろう。さらに、「なぜにあなたのつくったものがよいのか」が分かると上出来である。あなたのふんどしを作るに至ったエピソードも真実味があるものであれば、よい証拠になるだろう。ちゃんとした動機のもとにつくられた品物は、やはり信頼しやすい。あるいは、万が一、そもそもあなたの実家がふんどし屋であれば、信頼と実績の創業300年、という事実も証拠になり得る。

P.135

 第2の方法、「日常生活の違和感を見つける」は、言い換えると「足下を見る」ことである。これは、未来とかを考えるのが苦手な人に向いている。細かいことを含めて、日常生活の違和感をたくさん見つける、という帰納的なやり方である。「なんで、ゴミが多いの?」という大きいことから、「そもそも、優秀な即戦力って何や?」、「そもそも、会社の飲み会が必要か?」、「大学の授業料って高過ぎじゃないか」、「大学が4年間は長すぎる」、「もっと片付ければこの銭湯も行きやすくなるのに」、「なんで大きいイベントがあるとホテルが高くなるの?」とか、とにかく日常に発生する違和感を集めまくる。

 似て非なるやり方として「なぜを5回繰り返せ」というやり方があるが、これは既存の枠組みの中でしか物事を考えられない傾向があるので、21世紀のポストグローバリゼーションの生き方を考えるナリワイ的考え方としては、「なぜ」より「そもそも」を常に考えて違和感を見つけていくのがよい。「なぜ、車が売れないのか?」と考えるよりも「そもそも、車をこんなに売る必要があるのか?」とか、「どうやったら夢のマイホームが手に入るか」じゃなくて「そもそも、住宅ローン自体がいらなくないか?」と考えていくほうがお勧めである。

P.137 

「大学の授業料が高い」と思えば、じゃあそもそも校舎や常勤の教授はいらない、すごい実践者を年に3週間ぐらい集中して招聘するだけでいい、あとは各自学生が好きなように実践活動を通して学ぶ、という新しい形の大学を立ち上げるというアイデアもありえる。例えば、年間100万円の授業料の半分は講師を招聘した集中講義代、残りの半分は学生自身が世界を放浪したり、習い事をしたり、制作活動をする、というような自由な使い方ができる、という大学があってもいいはずだ。

P.161 適正な価格を検討する

 その際、気になるのは値段の付け方である。これは自分がどういうお客さんと一緒に自分のナリワイを育てていきたいか、ということが基準になる。お金持ちを相手にしたいのであれば、それなりの価格にしないといけないし、自分と同世代と一緒にナリワイを育てたい、ということであれば、自分の同じ世代が払える適正価格を探ることになる。また、自分だけじゃなくて、仕事を一緒にやる仲間に対しても適切な配分ができるようにしていくことも重要である。ただ、ナリワイ的生活を志す人は基本的いい人(つまり非バトルタイプ)なので、お金をもらうことに抵抗があることが多い。だから私の経験上は、自分が思うよりも少し高めに設定しておいた方がちょうどよい場合が多い。予想外のコストはかかるものだし、ギリギリの値段設定だと、最初のほうはいいが、継続的に続けていくシステムをつくる余裕が生まれないからである。また、ナリワイに興味を持つような人は、設定した値段以上の創意工夫に挑むようにできているから、初心者だからと勝手に謙遜して値段をあまりに低く設定しすぎると、そもそも自分の気合いが入らないので、結果的に世の中にとってもよくない。

 とはいえ、金額の多寡は、これはもう各自の自由である。ナリワイ初心者にありがちなのは「お金をもらうからには」と完成度重視で考えてしまい、いつまで経っても実行できないということ。

 極端な話、荒削りなサービスであろうとも、鋭い着眼点で他にはないものであれば、ありきたりの内容で完成度が高いものよりも、荒削りなほうがいい場合もある。

P.164 

なんなら、不満がある人には全額返金する、というルールを設けてもいいので、まずはチャレンジできるようにすることが大事である。

P.167

 参加者を集める、ということに関しては、無名からスタートするナリワイとしては必殺技はない。当時は2007年だったので、SNSとしてはmixiぐらいで、まだFacebookTwitterもなかった。まず、ネットを通じた告知では、関係する団体や自分が通っていた社会人スクールのウェブサイトに、1枚だけのモンゴル武者修行ツアーのページのリンクを張ってもらったり、自分のブログであったり、mixiにコミュニティを立ち上げたり、やれることを試す、というかんじになる。各媒体からの反応は1、2名であったが、それが5カ所もあればもう10人である。そんなに難しいことではない。ちなみに、最低1回ぐらいは人に直接対面する形で告知するのも、自分が直に反応を聞けるのでやったほうがよい。「モンゴル武者修行ツアー」の場合は、友達の友達まで参加OKの少し大きめの忘年会をモンゴル料理屋さんで企画して、「今年の夏にモンゴル武者修行ツアーをやってみようと思っています」ということを丁寧に短くご説明申し上げた。宴会なので酔っぱらう前に手短に、である。ここで参加を即決した人はいなかったが、一人ぜひ参加したい、という方に出会えた。やる前は「面白い自信はあるが、果たして人が集まるのだろうか」という不安もあったので、直に声を聞ける、というのは初心者には特に自信になる。おすすめである。いかにネットが効率的と言っても、直接自分のナリワイについて話す機会を持つのは力になるのだ。

 とまあ最初は、こんなかんじで地道に集めることになるだろう。