我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

ひきこもりその19 生きる意味

先日、10代から50代までの男女8人ほどで「生きる意味」について意見交換しました。

普段からそういう話をしたかったのでとても面白かったです。

生きる意味は人それぞれだなと思いました。

正解は一つではないんだと思います。

いろいろな意見を聴きました。

・生きることに意味はない。けれど自分で意味づけしていくものだと思う。

・自己責任で生きることを求められている気がするので自己責任の意味について最近考えている。

・好きなことや楽しいことをすることに意味がある。楽しいことをやるように心がけている。

・意味を探すことは難しい。

・死ぬのは怖い。

・死んだ時葬式に来た人たちが本気で悲しんでいたら、生きた価値があったのかな。

・人生に意味はないと思う。

・生きていることに意味があると思う。

・生きる意味は年齢と共に変わってきた。社会に出たての頃は自分の仕事能力を高めることが自分の価値を高めることになると思って、それが生きる意味になっていた。

・世の中に対して何かやれているときに生きている感を感じる。

ゴッホは金銭的に恵まれなかったが歴史に名を遺した。歴史に名を残すことができたら生きた意味があったと思う。

・高校の先生にお世話になった。凄くいい先生だったので自分も先生になろうと思っている。

・今までは会社の中に自分の立ち位置を見つけていけばいい時代だった。しかし、これからの時代は会社が一生面倒を見てくれるわけではなくなる。自分の立ち位置や自分の目的のために会社を利用するぐらいのスタンスが必要になってくる。

・好きなことを仕事にしなくてもいい。余暇に好きなことをしてもいい。

 

僕はこの場に来るまでは生きる意味が見つかっていませんでした。

しかし、「歴史に名を残す」という発言がヒントになって、「歴史に意味のあるものを残す」ことに興味が出てきました。

「自分にとって意味があると思えるものを残すことをやる人生には意味がある」と思えました。

僕は他の誰かがやっていることにはあまりやる意味が感じられません。なぜなら、その人がやればいいと思うからです。

むしろまだ誰もやってないことにこそやる意味が感じられます。

今考えているのはやっぱり自死支援団体の創設です。日本にないからです。スイスにしかないそうです。

日本にないからこそ作る必要があるし、やる意味や価値を感じます。

ただ本音を言えば、自死支援団体を作ることよりも自分がまず自死支援団体を利用したいだけだったりします。

自死に成功する人の背後に未遂者が10倍以上いると言われています。

そういう人を助け、確実に楽に苦痛なくあの世に送ってあげられる支援が必要だと思います。

未遂は本人も苦しいだけでなく、医療関係者にも多大な負担を掛けることになるのでそれを防ぐ意味でももっと安価で手軽な支援が必要だと思います。