我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

書評その133  沈没家族ー子育て、無限大。 加納土(かのう・つち)著

1990年代に東京、東中野で行われた共同保育の話です。

この本に先駆けて著者が監督として撮影した沈没家族という映画もあったのですが、今はなかなか見れる機会が少なくなっているようですね。

僕自身、今子育て真っ最中で悪戦苦闘していることもあり、引き込まれるように読みました。

共同保育、共同生活を始めたのは著者の母親の穂子(ほこ)さん。22歳でシングルマザーになり、自分ひとりで子育てするのが難しいと感じ、チラシを撒いて子育てを手伝ってくれる人を募集したそうです。この型破りな発想と行動力に圧倒されてしまいました。

そして集まったのが同じシングルマザーや20代から30代の独身男女だったそうです。

母親の穂子さんは1972年生まれで僕と同世代の人であり、僕自身も1990年代に共同生活を始めたこともあって、人ごとには思えませんでした。

この共同保育で育った子供は著者を含めて三人いますが、その三人とも立派な人に育っていました。御本人たちも共同保育で育った時期について、楽しかったという感想を持っていて、とても嬉しい気持ちになりました。

この本を読んでいると、子育てというのは両親だけでやるよりも共同保育、共同生活の方が上手くいくのではないかと思ってしまうほどでした。僕自身の家庭環境が過酷だったということもあるのかもしれませんけど。

共同保育がこれだけいいにもかかわらず、なかなか社会に広がらないところが難しいところだと思いました。

それはたぶん、共同保育の前提となる共同生活に対するハードルが高いからではないかと思いました。

沈没家族においては、月1回の保育会議が行われていたのが上手くやる上で大きかったんだろうと感じました。

月1回の保育会議だけではなく、日頃から共同生活しているメンバーでたくさんの話し合いが行われていたそうです。常にお酒が常備されていたのも腹を割った話をしやすい雰囲気にしていたのかもしれませんね。

この本では、そういった話し合いや保育会議の様子までは触れられていませんでした。

やはり育て方にしろ、生活の習慣にしろ、人によって違いがあるので、見ず知らずの他人同士が共同生活していくにはたくさんの話し合いは避けられないのではないかと思いました。

共同生活していく上でのハードルである、価値観の違いや習慣の違いによる衝突や軋轢にはどのようなものがあったのか、話し合いや保育会議などでどのように乗り越えていったのか、といった影の部分に関してはあまり書かれていなかったのは少し物足りない感じはしました。

しかし、著者が共同保育を受けたのが2歳から8歳までという記憶も定かではない幼少期のことなので、話し合いや保育会議の詳細について本や映画で紹介するのは難しかったのかもしれません。

それらはやはりこの試みを始めたご本人である母親・穂子さんの口から語られることなのかもしれないと思いました。

今の時代は沈没家族という共同保育が行われた1990年代と同様、子育てが非常に大変な時代になっていると思います。

それが少子化の一つの要因にもなっているのではないかと思います。

子供を産んでその子供が成人するまで20年以上子育てするとなると、その責任感の重さにひるんで、子供を産みたくないと思う人が増えるのも仕方がないのかもしれません。

そんな中、期間限定で子育てを体験してみたいという人もいるのではないかと思います。実際、ペットよりも人間の子供の方がはるかにかわいいわけですからね。

子育てをちょっと体験してみたい人と、子育てを手伝ってほしい親とを結びつける仕組みというものがあれば助かる人も多いのではないかと感じました。

もっと気軽に子育てを頼める人がたくさんいて、「ちゃんと子育てをしなければならない」という責任感から親を解放することができれば、結果として中絶や虐待も減るような気もします。

日本社会は「ちゃんと勉強しろ」「ちゃんと働け」「ちゃんと子育てしろ」と「ちゃんと」地獄になっているので、もっと自由に軽やかに生きていけたらいいのになと思います。