ひきこもりその11 怠けている、逃げている、甘えている
ひきこもり・ニート・生活保護に対する非難について考えてみたいと思います。
1、怠けている、2、逃げている、3、甘えているという非難が多いと思います。
1、怠けている
怠けているのを非難する人は僕の推測では本当は怠けたいんだと思います。
怠けたいけど怠けることができなくて辛い思いをしている。だから怠けることができている人が羨ましいし、憎いし、むかつく、という心理なのではないかと思います。
本当は働きたくないんだけど、資産がないとか貯金がないとか生活費がないとか借金があるとか何らかの事情で働かざるを得ない状況なんだろうと思います。
怠けている人は確かに輝いてないしカッコよくはないしモテないですよね。
でも長い人生の中では怠けたい時期もあると思うんです。
怠けたいときは好きなだけ怠けられる、そういう社会であって欲しいなと思います。
そういう社会は作れると思っています。
寝たい人は寝たいだけ寝られる、ゲームが好きな人は好きなだけゲームができる、漫画が好きな人は好きなだけ漫画を読んでいられる、そういう社会はステキだと思いませんか。
僕は不可能ではないと思っています。
みんなが怠けたら社会が回らないという意見もあります。
でもみんなが怠けるわけではないと思います。
地震のときにボランティアで駆けつけてくれる人はたくさんいますし、好きで農業をしている人もいます。人に物を与えるのが好きな人もいます。
それぞれが好きなことや得意なことをやっているだけで回っていくと思います。
2、逃げている
これも1、と同じで、本当は逃げたいのに逃げられないで苦しんでいる人が非難しているのではないかと思います。
逃げたらお金がなくなり生活できなくなるという状況なのかもしれません。
自分は逃げられなくて苦しく辛い思いをしているのに、無事逃げてのうのうと生きている奴が羨ましいし、憎いし、むかつく、という心理なのではないかと思います。
辛いことに立ち向かう人はカッコいいし、それが好きな人は立ち向かえばいいと思います。辛いことや嫌いなことに立ち向かう時間を好きなことに費やしたい人は逃げるべきだと思います。いつ死ぬか分からない人生ですから辛いことや嫌いなことばかりやる人生は無駄だと思います。
辛いことを我慢し過ぎて過労死したり自殺したり精神を病んだりするのは勿体無いと思います。
3、甘えている
これも1や2と同じで、本当は甘えたいのに甘えられなくて苦しんで辛い思いをしている人が無事甘えられている人を妬んでいるのではないかと思います。
甘えたい人が好きなだけ甘えられる社会は可能だと思います。
甘えている人はカッコよくはないですし、甘えている状態が居心地がいいと思っていない場合が多いと思います。
いつかは甘えている状態から脱したいと思っているはずです。
でも甘えている状態から脱さずにずっと甘えている状態でもいいと思います。
甘えるか甘えないか、好きな方を選べる社会であって欲しいと思います。
そういう社会は可能だと思います。
そういう社会は絶対に不可能だとは誰も証明できていないと思います。
まとめ
「怠けられない、逃げられない、甘えられない社会」だから苦しいんだと思います。
そういう社会ではなく、怠けるか怠けないか選べる社会、逃げるか逃げないか選べる社会、甘えるか甘えないか選べる社会、そういう選択肢の多い社会が好きです。
そういう社会を作る鍵は、いろいろあると思います。
僕は「土地の共有」「資源の共有」「情報の公開」「フリーエネルギーの解放」等が鍵ではないかと思います。
ひきこもり・ニートはこのような「怠けられない、逃げられない、甘えられない社会」を変革するために戦っているという意見があります。ボイコットというストライキです。NPOを作るなり事業という形で社会を変革する道が一番平和的でいいと思います。しかし、事業を作るまでのアイデアはないという場合、ひきこもりというストライキに出るしか思いつかないのかもしれません。