我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「ありのままの自分を受け入れる」その5 やりたい事を決断

ついに決めました。

何を決めたかと言うと、「たくさんの人とセックスする」という事です。

「決める」と実現するという話を聞き、実際に実現した例を知って納得したからです。

「〇〇したいなぁ…」とか、「〇〇だったらいいのになぁ…」だと実現しないらしいです。らしいというか、僕自身の体験としてもそうでした。

 

ここ数日頭痛と疲れで横になっている事が多かったのですが、ボーっとしながらもいろいろ考えていました。

思考力が落ちてあまり深く考える事が出来なくなることによって逆に決断する事ができました。

 

なんで今まで「決める」事が出来なかったかと言うと、いろいろありますがやっぱりパートナーの存在が大きいですね。

たくさんの人とセックスする事はパートナーを悲しませる事になるんじゃないか…傷付ける事になるんじゃないか…その結果パートナーと別れなければならなくなるんじゃないか…

 

それにそもそもモテないし人気も魅力もないから相手が見つからないじゃないか…

お金もないから遠くへは行けないし、ホテル代もない…

もし妊娠でもしたら経済苦のシングルマザーを量産する事になりかねない…

自分はナンパ師になってたくさん声を掛けて断られる体験がしたいわけじゃない…

ただセックスしたいだけなのになんでたくさん声を掛けるナンパ師にならなければならないんだ… これはおかしい気がする…

もっと気軽にセックスできる社会であるべきだ。

もっと気軽に不倫や浮気ができる社会であるべきだ。

1対1だけが美しい関係で、それ以外は良くないのだろうか。

性倫理を押し付けてきている宗教指導者自身が不倫や小児性愛をし、一夫多妻を実践している。

 

たくさんの人とセックスするのは本当にパートナーや周りの人を不幸にするのだろうか…

そう思い込んできただけかもしれない…

関わるすべての人を幸せにできるセックスという道があるかもしれない…

方法が思い付かないから諦めてきた。

でも「決めた」後で方法を考える道もある。

 

例えばセックスが上手く行かなくて悩んでいる人

セックスの相手がいなくて悩んでいる人

そういう人とセックスする事は人助けにもなる。

セックスする前にパートナーに事前に申請してみる。

不倫や浮気を隠れてこそこそするのではなく、パートナーと事前に相談して、堂々とやる道もあるのではないか。

方法を思い付かず、お金もないから諦めてきたけど、「決めた」後に方法を考え、資金を集める形の方がいいのかもしれない。

シングルマザーが経済苦に陥らない道を作っていきたい。

 

恋愛とかセックスなんて霊性の低い低俗な俗物のする物だと教えられてきた気がする…

本当にそうだろうか…

そう教えている宗教指導者や権力者自身がたくさんの人とセックスしているというダブルスタンダード

結局、庶民を性的に縛り付け抑圧する為にそういう教えや世論を作っているのではないだろうか…

 たった一人の人としか結婚してはいけないとか、たった一人の人としかセックスしてはいけないという決まりがあるから、みんなシビアに相手を見定めなければならなくなっている。

シビアに相手を鑑定しなければならない結果、結婚相手に対する要求条件が高くなり、その条件に合う相手が見つからない。それに付随して恋愛相手に対する要求条件も高くなり、今や結婚だけでなく、恋愛ですら多くの人が体験する事ができなくなっている。

僕はこの雰囲気、文化、常識、道徳を破壊して行きたい。

性的幸福を国民一人ひとりの手に取り戻したいと思う。

性的幸福を庶民の手に取り戻していきたい。

モテる人や金持ちがやっても意味がない。

そうではなく、モテなくて貧乏で働きたくなくて人気も魅力も権力も社会的地位もない僕がやってこそ意味がある。

社会の最底辺、最下層民に性的幸福、性的自由、性的人権を取り戻していきたい。