我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

僕の夢

僕の夢

すべての人が性的幸福を享受できる社会の実現

 

今の社会は性的強者だけが性的幸福を享受できる性的競争社会だと思います。

性的強者とは主に以下の人たちです。

・魅力がある人

・行動力がある人

・勇気がある人(恥の概念による刷り込みが少ない人)

・自己肯定感(自尊感情)がある人

・金銭的余裕がある人

・会話能力が高い人

・権力や地位がある人

 

性的弱者とは以下の人たちです。

・魅力がない人

・行動力がない人

・勇気がない人(恥の概念による刷り込みが大きい人)

・自己肯定感(自尊感情)がない人

・金銭的余裕がない人

・会話能力が低い人

・権力も地位もない人

 

今の日本には金銭的なセーフティーネットはありますが、性的なセーフティーネットがありません。

その結果、性的弱者はひたすら我慢し続ける人生を歩む事になります。一方で、性的強者はやりたい事をやりたい人とやりたいだけできる性的幸福を満喫する人生を謳歌する事ができます。

その結果、今の日本は性的強者による寡占が起きています。

つまり、恋人の絶えない人と常に恋人がいない人。

結婚と離婚を繰り返す人と一度も結婚できない人。

たくさんの愛人を抱える人と特定のパートナーさえいない人。

不倫や浮気に明け暮れる人と、常にオナニーし続けるだけの人。

たくさんの愛人を囲う政治家とオナニーさえもできない重度身体障がい者の方。

 

人類と言うのはいつまで経っても性的競争をし続けなければならないのでしょうか?

今、金銭的競争社会から金銭的共生社会への移行が模索されていますが、性的競争社会から性的共生社会への移行はできないものなんでしょうか?

僕の中に今明確なアイデアがあるわけではありませんが、このテーマはもう中学生の頃から考え続けています。もう30年以上考え続けています。諦めたくても諦められませんから。

 

例えばこういう状況があった場合、どういう解決策が考えられますか?

100人の人から好かれているKさんがいます。Kさんが100人の中から一人のパートナーを選んだ場合、残りの99人はどうなるんでしょうか。不幸確定でしょうか。

好きな男性が3人いて困っている女性。なぜ一人に絞らなければならないんでしょうか。

解決策はあるんでしょうか…

 

今の社会は性的弱者の犠牲と苦しみの土台の上に性的強者の幸福が成り立っている社会だと思います。

すべての人が幸福になれる仕組みはあるんでしょうか。

人類はこれまでもこれからも永遠に競争し続けなければならないんでしょうか。

人類はこれまでもこれからも元々幸福にはなる事ができない種族なんでしょうか。 

やりたくもない相手とセックスしなければならない強姦と、やりたい相手とセックスできない性的飢餓。性的強要という意味ではどちらも同じ抑圧の表と裏だと思います。

性的強制、性的強要、性的貧困、性的格差、性的飢餓…

すべての人が食事を楽しむように、すべての人が性を楽しめるような社会。

すべての人が性に悩み苦しむ社会からすべての人が性を楽しむ社会。

各自が個人の努力で性的壁を打破しなければならない自己責任と自助努力の時代から、強者が弱者を助けたり、弱者が強者を助ける助け合い社会に移行できるのか…

強者が弱者を痛めつける時代から強者が弱者を助ける社会…