隠された性的虐待
隠された性的虐待…。
目に見えない性的虐待…。
これについて考えてみたいと思います。
野球のイチロー選手並みに野球好きに生まれたとします。野球への情熱はイチロー選手に勝るとも劣らない。けれど才能がない。技術が下手。こういう小学生がいたとします。
誰も野球を一緒にやってくれない。誰もチームに入れてくれない。誰もキャッチボールしてくれない。この人は可愛そうだと思いませんか?
あまり良い例えになったか分かりませんが、隠された性的虐待とは、性交したくても性交できない人のことです。
貴方の持っている性交哲学はどんな哲学でしょうか?
魅力のある人間だけ、権力のある人間だけ、お金のある人間だけが性交するべきだ、という哲学でしょうか。
魅力も権力もお金もコミュニケーション能力もない人間はやっぱり性欲を満たす事はできず、一生我慢してやりたい事もできずに死ぬべきでしょうか。
魅力競争に負けたんだからしょうがないですかね…。
いやはや残酷な世の中だと思いませんか。
誰か一人から虐待されているのではなく、社会全体から、文化から、風潮から虐待されているのではないでしょうか。
やりたくもない性交をやらされる虐待もあれば、やりたいのにやらせてもらえない虐待もあるように思います。
性産業で働いている人は穢れているんでしょうか?
全く穢れているとは思いません。
むしろ、性的飢餓に苦悩しているたくさんの人を救済しているわけだから、徳を積んでいる事になるし、徳を積むことでむしろ清まっているのではないでしょうか。
微々たるお金と引き換えに好きでもない相手を性的飢餓から救済し、生きる喜びや生きる楽しみすら与えている。
食料産業が体を生かす仕事だとしたら、性産業は心を生かす仕事。
体よりも心が大事だとするなら、もっとも大事な職業なのではないかと思います。
醜い職業ではなく、最も大事な、最も美しい職業だと思います。