我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

最近考えていた事や悩み

これからしばらくブログを書けないかもしれないから最近考えて来た事を書いていこうと思う。

今年の3月から8月末まで派遣で倉庫内作業をしてきた。全く面白くない仕事だったし興味も持てなかった。給料も安かったし、何よりも通勤に片道二時間半かかってしまうのがきつかった。通勤だけで一日5時間はやっぱりきついよ。確実に座れるならまだいいけど、座れなかったらそれだけでも大変。そして通勤に5時間かかるという事は何よりも睡眠時間が短くならざるを得ないのがきつかった。中で働いていた人がみんないい人だったので人間関係が良かったのが唯一の救いだけど、いくら人間関係が良くってもやはり続けたいとは思えなかった。

週5日働いていたけど、重たい物を持つ事もある肉体労働だったから土日も疲れは抜けない。土曜日は何もしたくなくて何もできなくて日曜日も買い物に行かなければならなかったりで、週五日労働とは言っても結局のところ、やりたくもない事を週七日やっている事に変わりはなかった。

こういう仕事を半年も耐え抜いてきたわけだけど、その中でいつも考えている事があった。

こんな事までして生き延びる意味はあるんだろうか。

こんな事してまで生き続けるメリットはあるんだろうか。

いつもそんなことを考えていた。

生き延びた暁にやりたい事は何なのか。

生き続けた先にやりたい事があるのか。

やっぱり俺は自分が興味の持てる分野の仕事であるとか、業務が面白いとか、やっていて楽しく感じられるようなものじゃないと週5日もやってられないなと痛感した。

やりたくもない事をお金のためだけに週5日やってそのお金を使って残りの週2日だけを楽しむという生き方は無理だ、続けられない、と痛感した。

それで興味の持てる分野の仕事に応募してみたけど、ことごとく不採用になってしまった。まぁどうしてもやりたくて仕方がないというほどでもなかったから諦めはついたけど、やりたい事を仕事にするって言うのは自分だけではなかなか決められないものなんだな。やりたい仕事をやれるかどうかは自分の意志は二の次で、あくまで採用する側の意志が最優先だから仕方がない。世の中は自分の思い通りにはならないもんだ。

やりたい仕事や興味の持てる仕事では採用されない。

じゃぁやりたくない仕事をして雀の涙の給料をもらいながら生き続ける人生を続けるのか…。

それじゃ意味ないよ。

やりたくない仕事をして雀の涙の給料をもらう生活はもう40年以上やってきてもうコリゴリ。雇う側にメリットがあっても俺にとってはメリットがない。

そんな悩みの中でいろんな人のブログを読んだり、いろんな本を読んだ。

本を買うお金がないもんだから毎日のように図書館に通った。

そんな中で、俺の心に響いてくる文章にもいくつか出会った。

今も一番心に残っている内容は、

「心がワクワクする事、自分が楽しいと思える事をしたらいい」という内容だった。

子供の頃はワクワクする事や楽しい事はいっぱいやっていたような気がするけど、アラフォーなオッサンになってしまうと何がワクワクする事なのかなかなか思いつかない。

ワクワクする事って何だろう。楽しい事って何だろう。

小さい頃は魚釣りをしたりザリガニ釣りをしたり、虫を捕まえたり、かくれんぼしたり、野球したりサッカーしたり、盤ゲームをしたり、レゴをしたり、テレビゲームをしたり、海で泳いだり、山登りしたり…。いろいろ楽しい事をしたりワクワクしていたと思う。

しかし、この年になってまたこれらの事をやりたいか?ワクワクするか?と聞かれたら、確かに楽しそうな感じはするけど、そこまではワクワクしないというのが正直なところだ。これらの事をやろうと思ったら釣り具代やら交通費やらいろいろお金が掛かるので経済的にもやる事はできない。

今ワクワクしそうな事と言ったら好きな人と相思相愛になる事ぐらいかな。

しかし恋愛という物も就活と同じで、相手がOKしない事にはどうにもならない。

就活で不採用が続くとやる気が出なくなってくるのと同じで、恋愛だって不採用が続けばやる気はなくなってくる。

もうしょうがない。今世は諦めざるを得ない。

話が脱線してしまったけど、「やりたい仕事は何ですか?」って世の中から突き付けられているけれど、俺から言わせたら、「…そんなの特にないです」。

俺は別にやりたい仕事なんてない。

そもそも働きたくない。自由でありたい。

毎日本を読んだりネットでブログを読んだり動画を見たりできればそれで十分だ。

別に大金はいらない。

しかし、今の日本では働かないで生きて行く事は難しい。人からお金や食料を貰えるほどの魅力を持った人物ならそれも可能だが、俺にはそんな魅力はない。