我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

無銭経済宣言の感想

先日、「無銭経済宣言」という本を読んだ。

本の内容に関してはこのブログでも取り上げた。

今日のブログはその本についての感想だ。

僕がなぜこの本を読もうと思ったのか。

それは僕自身お金を稼ぐのが苦手、働くのが苦手、という二重苦にあり、若い頃から今に至るまでいつもお金に困って来たからだ。

もしお金を使わずに生きる方法があるなら俺もまだ生き続ける事ができるかもしれない、と思ってこの著者の編み出した無料生活のノウハウを学ぼうと思った。

にもかかわらず、この本の中で僕が一番心に残ってしまったのは彼の0円ノウハウでもなく、彼の環境問題への理想でもなかった。
それは、著者マーク・ボイル氏の話ではなく、人類学者ジャレド・ダイアモンド氏の発言だった。

農耕の登場こそが人類に共通する生態学的・社会的・個人的危機の多くを引き起こしたのであり、農業という多くの意味での大災害から人間は未だかつて復興しておらず、農業は人類史上最悪の間違いである。狩猟採集者は人類史上最も豊かで長生きするライフスタイルを実践していた。我々は未だに農耕によって投げ込まれた窮地でもがき苦しんでおり、そこから抜け出せるかどうかも分からない」。

僕はこの文章を読んだときに物凄く衝撃を受けた。これほどまでに農業をぼろ糞に言っている話は聞いた事がない。

僕は、産業革命以後の工業化社会が人間を不幸にした、という話はたくさん聞いてきた。産業革命以降、日本で言えば明治以降に人間が奴隷化し、戦争が増え、環境破壊が起き、成人病や鬱病が増えてきた、だから産業革命前の生活に戻るべきなのではないか、と思っていた。

つまり、農的な生活、半農半Xで生きて行こうと思っていた。

そう思っていた矢先にあの文章である。

しかし、あの文章をただ見送ることなく深く受け止めてしまったのは、自分の中でもやっぱりそうかもしれない、やっぱりそうだったのか、という思いがあったからだ。
あの文章がどういう根拠で主張されているのかは分からない。

あの文章が書かれている本があるらしいのでそれも今度読もうと思っている。(「銃・病原菌・鉄」という本かもしれないので図書館で予約した)

なぜ農業が人類にとって大災害なのか?人類史上最悪の間違いなのか?

ジャレド氏の本にその論拠が書かれているとは思うが、僕の予想では、農業によって、資産の共有から資産の所有に文化が変わったからなのではないかと思う。

狩猟採集生活では、資産の蓄積は起こりにくいと思う。海や山に行けば豊富な食料があるとなれば、それらをわざわざ蓄積する必要はないと思う。海や山に保管しておいて、必要な分を狩猟採集すればいいだけだ。

しかし、農業ではどうしてもいろいろな物を蓄積する必要が出てくると思う。収穫物であったり、種であったり…。

この蓄積する習慣がだんだんと「所有」になっていったのではないか。

収穫物の所有から土地の所有へと移っていったのだろうか。
農的生活に移行しなければならないと思いつつも、僕自身、なかなか踏み切れないでいる。やはり農業は大変だというイメージがある。というか、一度体験して実感もした。人間が生きるにはそんなに大変な事をしなければならないのだろうか。人間と言う物はもっと楽に、幸せに生きる道はないのだろうか、と思う。

文明化された先進国の労働者よりも、未開なジャングルで生活している原住民の方が幸福度が高いという調査が数多く発表されている。もちろん、原住民は農耕民ではなく狩猟採集生活者だ。

やはり人間には狩猟採集生活が合っているのだろうか。

確かに僕自身を振り返ってみても、農作業しているときよりも、生き物を捕まえたりしている方が楽しい。

小さい頃は池にいるザリガニをイカで釣ったり、魚を釣ったりしていた。凄く楽しかった。

今更狩猟採集生活を日本でやれるんだろうか。

明治に入ってから狼が駆除されて、結果として鹿・猪・猿が増え過ぎている。そして彼らが精魂込めて作った農作物を食い荒らしまくっている。

関東地方では、閉鎖された動物園から逃げ出したキョンという外来種の鹿が大増殖しているらしい。