我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「ありのままの自分を受け入れる」その1 「自分を愛する」とは

「自分を愛せない人は他人も愛せない。だから他人を愛する前にまず自分が自分を愛する方が先だし大事だ」という話をよく耳にするようになりました。

でも自分を愛するって言ったって、自分に欲しい物を買ってあげたくてもお金がないし、自分に好きなことをやらせてあげようにもお金がなくてできない…。自分を愛するって具体的にはどうしたらいいんだろう…と思っていました。「愛する」ってどうする事なの?「愛」って何なの?と思っていました。

自分に欲しい物を与えてあげようと思って店から品物を無断で取ってきたら、それは窃盗という事で逮捕されるし、美しい女性を見て触りたいと思ってそれを自分に許してしまったら即、痴漢として逮捕される… 自分よりも他人を大切にしないと逮捕されちゃうんじゃないの?と思っていました。

これじゃぁ、自分に好きなことをやらせてあげる事もできないし、自分に欲しい物を与えてあげる事もできないじゃん… 自分を愛するなんてできないじゃん… 「今ここを大切にする!」という思いと、「自分に好きなことをやらせてあげる事を許す!」という事を本気で実践してしまうと、窃盗、痴漢、強姦、傷害、殺人などで即逮捕されざるを得ない訳です。(捕まらない様に上手くやれる知恵があれば別ですが…)(僕が本当に恐れている事は警察に捕まるかどうかよりもカルマを増やすかどうかなので、たとえ警察に捕まらない状況でもカルマを恐れてやりたい事はやらないような気がします…)

というわけで、やりたい事を自分にやらせてあげる事はなかなか難しいので、とりあえずまずは自分がやりたくない事を自分にやらせないという事の方がまだ取り組みやすいなと思いました。

僕は働く事を自分に無理強いしないことにしました。

働きたくない自分をありのまま受け入れるという事を実行しました。

世の中にはいろいろな人間がいるんだから、働く事が好きな人がいてもいいし、働く事が嫌いな人がいてもいいと思ったからです。

働かなければいずれ貯金が底を尽き、家賃を滞納して追い出され、食費もなくなって餓死するのかなぁ…と思いました。でももうこんな地球に未練はないし、できるだけ早めに餓死できたらいいなと思いました。でも餓死もそう簡単ではない、最低2週間は空腹に耐えないといけない… むしろかなり苦しいと思うので、多分その辛さに耐え切れず、万引きして捕まって刑務所で暮らしていくのかなぁ… などと思っていました。

そして刑務所内で「ありのままの自分を受け入れる」を実行し、そこでも刑務作業などの労働を拒否したら… 警棒で殴られるのかなぁ… などと考えていました。

僕にとって「ありのままの自分を受け入れる」=「警棒で殴られる」という図式がありました。

いろいろなネガティブなシミュレーションを巡らしていたのですが、2018年の8月31日にやりたくない仕事を辞め、それ以来1年4ヶ月、やりたくない仕事をやっていません。仕事を辞めた後、やりたい仕事をいくつか応募しましたが採用されませんでした。2018年の11月に貯金が底を尽きましたが、その頃から急に周りに優しくて親切な人が増えてきて、その人たちの御蔭で今もなんとかギリギリで生き延びています。