2018年を振り返って。その1
昨年も波瀾万丈で苦しい一年でした。
一昨年の12月から始めた契約社員の仕事を1月に辞めて、2月は単発の派遣の仕事をして、3月から8月までは派遣社員で倉庫内作業の仕事をしていました。
倉庫内作業を半年間やって痛感したのは、興味の湧かない仕事を生活の為、お金の為だけにやる人生というのは本当に辛いという事でした。時給が10万円位貰えるんだったらお金だけの為に働くのも悪くはないなと思いますが、そうは行きませんからね…。
それで豆腐メンタルな俺でも長続きしそうな仕事を探して、いくつか応募したり面接を受けたりしましたが、ことごとく不採用という結果に…。
嗚呼、結局、興味の持てる仕事はやらせてもらえないんですね…と痛感しました。
結局、僕に割り当てられるのは興味の持てない、過酷な肉体労働のみなんだな…と。
それで9月10月11月とちょぼちょぼと就活をしながら貯金で生活をしていたわけですが、ついに12月分の家賃の支払いが難しい状況を迎えました…。
それで僕が下した決断。
お金が十分に稼げないんだったら自分で食べ物を作れれば生きていけるかもしれない…。そうだ…。農業があるじゃないか…。家賃を滞納し続けるぐらいだったら農業の住み込みバイトをしながら食べ物を自分で作れるスキルを習得したらいいのではなかろうか…。
そんな考えで農業の住み込みバイトを探すようになり、とある農場で働く事となりました。
その農場は僕の好きな無農薬、無化学肥料農法を行っており、社員寮も無料で食事も一食付というものでした。
仕事はそこまで辛い物ではありませんでしたが、社員寮が物凄く古くて汚かったので、その社員寮を見た途端、一気に心が折れてしまいました。とても社員を大切にしているとは思えなかったんです。その社員寮には凄く性格の素晴らしい男性が一人住んでいました。その人と住めることは面白そうだったのですが、その人は世界中を旅した経験があり、インドの駅のホームで寝た事もある強者でした。その人は「インドに行っちゃうと何でもアリになっちゃうんで(^o^)丿」とあっけらかんとしていましたが、僕がその寮を見て愕然としてしまうのも日本人ならよく分かると仰っていました。
当時、お金も1万円程度しか持っていませんでしたから、俺もいよいよホームレスか…。と思いました。
こういう事になるリスクは薄々気づいていました。
ホームレスでも仕方ないかなという気持ちが少しあったからこそ、貯金がじわじわ減っていっても働かずにいたわけです。
ホームレス生活に無事着陸するためにどうしたらいいか、農業バイトをする前に図書館で約3ヶ月に亘って研究していました。
いよいよ本で調べてきたホームレス生活を実行する時を迎えたのかと…。
ついに台東区に向かう時が来たのか…。
しかし、その時にふと、ある事を思い出しました。
そういえば僕の敬愛する坂爪圭吾さんが確かごちゃまぜの家をやってたな…。
(坂爪圭吾氏は、他に似たような事をしている人がいないのでどのような人か説明が難しいのですが、無理やり一言で説明すると、哲学者・作家・旅人のような人です。)
確かごちゃまぜの家は誰でも無料で使える家とどこかに書いてあったような記憶があるな…。
という事は僕でももしかして泊めて頂けるのかもしれないな…。じゃぁとりあえずダメ元でお願いしてみて、ダメだったら台東区へ向かえばいいかな…。
それで思い切って坂爪圭吾さんにメールを送ってみる事にしました。
つづく…。