我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

2018年を振り返って。その2

坂爪圭吾さんにごちゃまぜの家に泊めて頂けるかメールを送りました。

あまりにも急なお願いだったし、たくさんメールを貰っているような人だから多分忙しくて対応できないだろうな…と思っていました。

しかし…!

なんと、泊めて頂ける事になってしまいました!!(え~…!? ほっ、ほんとにいいんですか…!?)

そこからごちゃまぜの家での生活が始まりました。

一刻も早く住み込みバイトを決めてここから出て行かなければならない…と思って、いろいろな派遣会社に登録しては応募して行きました。

農業バイトはやってみて結構ハードな仕事で時給も安いと分かったので、ひとまず農業バイト以外で最低でも一ヶ月は続けられそうな仕事を探して応募して行きました。

豆腐メンタルで体力も平均以下な自分の能力を冷静に観察してみたら、それほど選択肢は多くありませんでした。

結局、旅館やスキー場での住み込みバイト、いわゆるリゾートバイトと言われる仕事か、直近の倉庫内作業に似た職種である製造工場バイトに絞られてきました。

しかしリゾートバイト、略してリゾバは体力のある若者すら逃げ出してしまう事もあるような、過酷な長時間労働の現場が多く、製造工場のバイトは今まで似たような事をやってきたので、自分に合う仕事ではない事はやる前から見えていました。

もはやこれ以上、ごちゃまぜの家での滞在を引き延ばす事はできない…。住み込みバイトに受かったと嘘をついて、隅田川多摩川の橋の下にでも向かうか…。と思いました。

バイトに決まっても決まらなくても今週末にはごちゃまぜの家を出て行こうと思いました。

そうしたら、ネットカフェ難民を助ける組織であるTOKYOチャレンジネットでお世話になっていた職員の方から久しぶりに電話が掛かってきました。

最近の状況や、先輩の家の泊まらせてもらっている事やここに至るまでの経緯を話していきました。

そしたら、今港北区にいるんだったら私は東京に住んでいる人しか支援はできないけれど、港北区役所の同じような課に電話してみたらいいと思いますよ、と言われました。

それで港北区役所の生活支援課に電話をしました。

もう時間が閉庁時間近くになっていたので、翌日に区役所に行く事になりました。

そこに行くと、路上生活者のための自立支援施設に入所する事ができると教えてもらいました。

そこは結構綺麗な寮みたいな感じで、家賃と食事が一日三回無料で頂けて、最長三カ月まで滞在する事ができるそうでした。

その施設には就労相談員のような人もいて、就労支援を受けて仕事を決め、その施設で生活しながら貯金を貯めてアパートを借りる初期費用を作っていくという流れになっているとの事でした。

路上生活者になる人というのは僕みたいに働くのが苦手な人が多いのではないかと思っていた僕は、就労相談員の人と相談していけば、僕でも長続きできそうな仕事を見つけて貰えるのではないかという甘い期待を抱いてしまいました。視野狭窄に陥っている自分には見つけられなかった仕事、職種があるのかもしれない…。障碍者の方や後期高齢者の方々と一緒の仕事なら僕にも務まるかもしれない…。等と思うようになりました。

僕の心は横浜市の自立支援施設への入所にだいぶ傾いて行きました。