我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

私の合同結婚式その1 最初のマッチング

※もう20年も前の事を断片的で不確かな記憶を思い出しながら書いているため、正確な記述ではないことをご了承下さい。

――1997年秋。23歳。ついに伝授式(結婚相手の顔写真を責任者から受け取る式。卒業証書授与式のような雰囲気で行われる)を迎える。

大輔(今日はついに伝授式…。一週間断食もして、一応霊の子も三名立てた(※霊の子…自分が統一教会に勧誘した人の事)。やれる準備は最大限にやってきた…。俺の結婚相手ってどんな人なんだろう…。やっぱり俺も信仰者として、国際祝福(相手が外国人)を希望したけど、相手はどこの国の人かなぁ…。やっぱり韓国人かなぁ…。日本人かなぁ…。誰が相手になっても絶対信仰、絶対愛、絶対服従で受け入れる心構えは整えてきたつもりだけど…。でも本音を言えば可愛い子がいいよな…。人は外見じゃないとは言うけれど、外見がどうしても自分の嫌いなタイプだったらどうしよう…。一生、嫌いな人と一緒に暮らすのかな…。確かに自分の好きなタイプの女の子が結婚相手なら、愛情の訓練や人格の成長には結びつかないけど、いくら人格の成長や慈悲の心を深めるためとはいえ、自分の一番嫌いなタイプが来たらどうしよう…。神様は厳愛だから、やっぱり自分の一番嫌いなタイプをあてがってくるのかな…。今までの神様のやり方を見てるとそうしてくる可能性大だけどな…。)

責任者「内海兄(うつみけい)!←(教会員は、お互いを神様を親とする兄弟姉妹と見なし、親しみを込めてこのように呼ぶ)」

大輔「はい!」

――席に戻って恐る恐る写真を見てみる…。

大輔(あぁ…涙。やっぱり神様は厳愛だった…。この人の中身はどうか知らないけど、外見だけで言えば、自分の嫌いなタイプだ…。この人と生涯、一緒に暮らすのか…。これはきつい…。これは辛い…。この人以外とは恋愛、結婚はできないんだな…。俺は神様への絶対信仰、絶対愛、絶対服従を身につけるべく努力してきたけど、所詮、神様から紹介された相手を受け入れるだけの信仰も愛も服従心も身に付かなかったんだな…。結婚相手が好きなタイプじゃなかった事もショックだったけど、それを受け入れられない自分自身の信仰の無さにもショックだな…。)

――こうして、全く見ず知らずの相手同士が、教祖の選んだ相手だから、という信仰により受け入れていく。第二次大戦の前までなら、親の決めた結婚相手の顔を結婚式の当日初めて見た、という人もいただろう。戦前まではそういう結婚の方が普通だったとも聞く。しかし、自由恋愛、自由結婚が標準となった現代において、このような結婚のあり方は珍しいし、まさか自分がそのような結婚をすることになろうとは夢にも思っていなかった。

――それから数年間、仲良くなるために文通をしたり、たまに喫茶店で会って話したり、電話で話したりしたが、次第に相手と連絡が取れなくなり、婚約を破棄された事を知るようになった。

大輔(やっぱり破棄されたか…。最近、手紙を出しても返事が来ないし、電話してもいつも出てくれなくなったからおかしいとは思っていたけど…。やっぱり彼女は熱心な親から勧められてマッチングを受けた人で、本人の信仰は薄かったのかな…。でも自分も彼女をなかなか好きにはなれなかったから、彼女が破棄してくれて結局はお互いのためにも良かったような気がする…。やっぱり嫌いなまま家庭を出発したところで上手く行くとは思えないよな…。)