我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

赤ちゃんその35 離乳食と学校

最近ニート支援団体で学校のようなシーンに出くわしました。

先生が生徒に「これ知っている人いますか?」と問いかけました。

僕はそのシーンに何となく違和感を感じてしまいました。

なぜか手を上げるのが恥ずかしくなったのです。

なぜ手を上げるのが恥ずかしかったのか…

知ったかぶりをするのが恥ずかしかったような気がします。

日本人的な不思議な感覚ですね。

知っていることは恥ずかしいことでも何でもないのに…

そのとき、ふと、(もしこういうシーンで自分だけ知らなかったら、それはそれで恥ずかしいかもな…)と思いました。

それで小学校や中学校の時のことを思い出しました。

みんなが知っていることを自分だけ知らないのは恥ずかしい。

逆に、みんなが知らないことを自分だけが知っていると手を上げるのも何だか恥ずかしい。

僕は「恥」という概念に心を支配されているんだなと思いました。

 

小学校や中学校で習うことって本当に必要ないことが多かったように思います。

二次方程式の解の公式を中学校で習ったような記憶がありますが、人生で役立ったことが一度もありません。三平方の定理も人生で使ったことがありません。

本当に時間も労力も無駄だったと思います。

それよりも大事なことはたくさんあり、子育てなんかもそうです。

子育てのやり方について僕は何も知りませんでした。

親から酷い目にあったので親を反面教師として、それの反対をやろうという思いだけはあります。

最近調べ始めたのが離乳食です。

生後六か月を超えて、かなさんが離乳食を始めました。

僕は離乳食に関して何も知りませんでした。

僕は離乳食はまだ早いのではないかと思っていましたが、ある本を読んでいたら、生後2ヶ月ぐらいから始めてもいい(果汁から始める)し、早ければ早いほどいいと書いてありました。

離乳食一つを取ってみても、いろいろな本やいろいろな意見があり、どれが一番いいのか分かりません。

学校というのは無駄なことばかり教え込んで、必要なことをほとんど教えない場所だという思いが僕は強いです。

だから息子が学校に行きたくないと言ってくれたらと願っています。

学校にどうしても行きたいなら止めはしないけど、できるだけ行ってほしくないと思っています。

実際、小学校を中退した人と話したことがありますが、普通の人よりも賢い感じを受けました。その人はちゃんと働けていますし、学校なんて行かなくても何も問題ないと思います。

子どもに無駄な知識を無理矢理詰め込むことよりも、僕は好きなだけ遊ばせたいと思います。

子どもは遊びからいろいろなことを学ぶし、遊びを極めればそれが仕事になると思います。遊びを極めていく過程で何かを学びたくなったら、学びたいことだけを専門的に学べばいいのではないかという気がしています。

僕は今の義務教育制度というのは、明治政府が富国強兵のための兵士を量産するために始めた物だという認識があります。

戦場で従順に将校の言う事に従う歩兵を作るためです。

将校役が小学校の先生で、ランドセルが陸軍のリュックサック、体育の時間は軍事教練です。

第二次大戦後は学校の目的は兵士の量産ではなくなり、工場で働く納奴を量産する目的に切り替わりましたが…

でも、経済戦争を戦う「株式会社」という歩兵師団に、「新卒」という二等兵を送り込む図式は戦前の構図とほとんど同じですから、学校制度も明治の頃からほとんど変える必要がなかったんだと思います。

 

あと、僕にとって学校の一番嫌いな所はいじめがあることです。

いじめを受けても多くの子は親にも先生にも言えず、黙って耐えるという選択をする子が多いようです。

親に言っても先生に言っても友達に言っても助けてもらえないことを悟っているからだと思います。

親や先生や友達に言ったことがばれると、いじめっ子からのいじめがさらに激しくなることを悟っているからです。

大人の社会には法律や警察や弁護士がいて、一応の秩序が保たれていますが、小学生や中学生の間には法律も警察も弁護士もおらず、暴力だけが支配する世界になっていると思います。

そんな世界に可愛い子どもを送り込むのは虐待に等しいのではないかと思います。