我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

私は夢は復讐です。

二日前から心が苦しい。胸や気管支の辺りが掻き毟られるように苦しい。

つい先日地球でやり残したことの一つをやったと書いた。

やり残している事はないが、やりたい事は実はまだまだたくさんある事に気付いた。

今の自分の現状で、今の経済状態でやり残している事はない。しかし、お金や地位や権力さえあればやりたい事はまだまだたくさんある。その事に気が付いた。

恋愛もしたい。好きな女性と愛し愛される関係を築きたい。結婚もしたいしセックスもしたい。これが自分の一番大きな欲望だと思っていた。しかし違った。

もしも自分に何の制限もなかったら、もしも無限にお金があり、最高の地位と最高の権力を持っていたら…

復讐をしたい… 私の心を傷付けた相手、私の尊厳を踏み躙った相手、私をレイプした相手を復讐したい… 復讐として拷問したい… 一思いに殺しても私の心は全く満たされない。私が受けたのと同じかそれ以上の苦しみ、痛みを与えたい。そのためには簡単に殺してしまってはダメだ。ただ殺すだけでは私の苦しみや痛みは癒えない。

愛し愛される喜びを感じたい。確かにそういう欲望もある。しかしそれ以上に復讐がしたい。殺したい。拷問がやりたい。

しかし、私には復讐相手を生け捕りにできるだけの武器がない。檻も地下牢もない。警察や米軍や諜報機関を傘下に収めるだけの財力もない。地位も権力もない。だから復讐はできない。復讐や殺人に失敗して刑務所生活を送るなんて愚の骨頂だ。

お金も地位も権力もない弱者はレイプした相手がのうのうと生きていても指をくわえて見ているしかない。

私は私をレイプした相手、心を蹂躙した相手、屈辱を与えた相手を許したと思っていた。その事は忘れたと思っていた。

しかし、心の奥底に押し込めて封印したと思っていた怒りや憎しみは決して消えることなく、忘れていなかった。

そう簡単に許せるものではない。許したくもない。なぜ許さなければならないのか。二日前から怒りと憎しみが心を渦巻いて胸が張り裂けそうだ。

なぜ復讐する事が罪に問われるのか。

人の心を蹂躙する罪は問われず、なぜ殺人を犯した側だけの罪が問われるのか。

そんな片手落ちの法律はいらない。そんな片側だけの肩を持つ警察はいらない。

私は人の尊厳を踏み躙る行為は殺人よりも罪が重いと思っている。人の尊厳を踏みにじった人間は死罪だ。

人の尊厳を気軽に踏み躙る世界よりも、人を簡単に復讐できる世界の方が好きだ。人生は長過ぎる。短く太く生きたい。やりたい事をやり残さずやり尽くしたい。武器が欲しい。資金が欲しい。拷問用の地下牢を備えた収容施設が欲しい。警察権力を傘下に収めたい。米軍を傘下に収めたい。情報機関を支配下に収めたい。復讐権を入手したい。

今の日本には毎年約3万人近い行方不明者がいる。誘拐して殺しても逮捕されない人が現にいるのだ。そういう権力を手に入れたい。

そして私の心を踏みにじった相手を探し出し、捕獲し、地下牢に入れ、拷問してスッキリしたい。スッキリした土台の上で安らかに死にたい。

やられたらやり返す、利息も付けてキッチリ返す。良心の呵責はない。やられてない相手はやらない。やられたからやり返す。ただそれだけだ。

悪人や権力者や地位のある者だけがやりたい事をやり、権力や地位や財力のない者はやりたい事もやれずに我慢するだけの今の日本、今の地球。最凶最悪の惑星だ。ただひたすら我慢我慢の人生を強要されるだけの今の日本、今の地球。

もう二度と地球には来たくない。もっと住みやすい別の惑星で幸せに暮らしたい。やりたい事がやれないなら一刻も早く死んだ方がましだ。