我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「今ここ」とホームレス

私は自由が好きだ。自由になりたい。でもずっと自由になれなかった。週に5日も働いてしまうと疲れが抜けないので、残りの2日もぐったりしたままになるので、ほとんど何もする気力が起きない。最後の死力を振り絞って洗濯したり掃除したり食器を洗ったり生活用品を買うだけで体力も時間もなくなってしまう。結局、週7日、やりたくもないことをやっているだけで、本当にやりたいことをやっている時間は本当に微々たるものとなっている。本当にやりたい事は本を読むこと。ブログを読むこと。動画を見る事。私が一目置いている人たち(アシュタール氏、バシャール氏、ハトホル氏等)が最近、口を揃えて言っている事がある。それは「今、ここ」を大切にすべきだという意見。「今ここに生きる」という表現の事もある。「今ここを大切にする」という考え方に出会ったのは今から5年前。エックハルトトールというドイツ人が出したDVDを買って観たことに遡る。高いお金を出して買ったDVDなので最後まで見ようと頑張ったけど、何が言いたいのかさっぱり分からなかった。最近も「ニューアース」という本を熱心に勧めている人がいたので図書館で借りて読んだ。しかし、あまり面白くなくて最後まで読めなかった。「今ここに生きる」というのは具体的にはどういう生き方を指すんだろう…。「今ここ」を大切にする生き方というのはどういう生き方を指すんだろう…。私も「今ここ」を大切にしたいけれど、実際には「今ここ」よりも「未来の生活費」を大切に生きている。来月の家賃を稼ぐために、今日も働く。来月来る請求書の支払いに備えて今日も好きでもない事を一日中やりまくる。そんな生き方だ。「来月の生活費」よりも「今ここ」を大切にしてしまったら、来月にはホームレス確定だ。「不安や恐れを乗り越えて今ここに生きろ」という意見がずっと私の心に響いている。「今ここ」に生きたらホームレスになってしまうのではないかという不安や恐れはない。むしろ、「今ここ」に生きてしまうとホームレスになってしまう「確信」がある。もしもやりたくない事を辞めて今ここを大切にしてしまえば、貯金が尽き次第、ホームレスとなり、食べ物にも事欠くことになる。私は七日間水だけで過ごした事がある。あの時は辛かった。フラフラになった。やっぱり食べ物と寝る所は欲しい。「欲しい」と言うのはエゴなんだろうか。エゴは悪い物なのだろうか。私は死を恐れていない。死後の世界を徹底的に調べた結果、今の生活よりも遥かに暮らしやすい事がわかったからだ。だからむしろ死が待ち遠しい。でも死ぬ前の飢えている期間の苦しみは嫌いだ。なるべく避けたい。どうせ死ぬなら即死がいいな。工事現場を歩いていたら上から鉄筋が落ちてきて頭に当たって即死したら苦しみの期間が短くて済みそうだ。