我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

セルヒオラモスの生き方を見て

今日はどうしてもセルヒオ・ラモスの事が頭を離れない。

私はサッカーが大好きでよくニコニコ動画やユーチューブで録画のダイジェスト版を見ている。好きでもない仕事をやりまくっているため、リアルタイムで見る時間がないからだ。

今日は久しぶりに録画ではなくリアルタイムでサッカーを見れた。

サッカーのプロチームの世界一を決める「チャンピオンズリーグ」の決勝だ。

リバプールレアルマドリード

この試合は夜中の3時45分からだったけど、年に一度の大一番のため、夜中に起きて見た。

しかし、セルヒオラモスがモハメドサラーの腕を引っ張って倒したプレーを見て、頭に来てしばらくしてテレビを消した。
リプレイ動画を何度も見直してみたが、どう見てもファウルとしか見えなかった。

ラモスがサラーの腕を掴んで巻き込み、柔道の投げ技のような形でサラーを肩から地面に叩き付けた。

その結果、サラーは肩を痛めてそのまま負傷退場。

その時、前半31分。試合時間90分の内、まだ半分も消化していない時間帯だった。

サラーが負傷退場するまではリバプールが攻め続けて押し込んでいた。

リバプール優勢だったと思う。

しかし、サラーがいなくなると形勢は一気に逆転。

レアルマドリードが一方的に攻め込む形となり、その流れの中でレアルが3点入れて試合はレアルの勝ちとなった。

この試合のマンオブザマッチは私が選ぶとすればベイルではなく、ラモスだ。

相手チームの絶対的エースを前半31分にして退場に追い込んだ功績は計り知れない。

この時点でレアルの勝ちは確定していたと思う。

あとは、ベイルが得点していなくてもレアルの他の誰かが得点して勝っていたと思う。

ラモスのプレーに対し、審判はファウルの判定を取らなかった。

私がリプレイ動画を見直した限りでは、ファウルとしか思えなかった。

しかも、単なるファウルという次元を超えて、相手に与えた怪我の大きさや、負傷交代せざるを得ないほどの影響を考えるとレッドカード、一発退場だとしてもおかしくない行為だったと思う。最低でもイエローカードの行為だったと感じた。

実は先日もレアルマドリードバルセロナの試合で、審判があまりにもレアル寄りのジャッジをするので頭に来て試合を見るのを途中でやめたことがあった。

レアルにとって大事な試合になると、審判がレアルに有利なジャッジをする事が多いなと感じてしまう。

最初は審判のジャッジに怒りを感じていたが、こうも続くと胡散臭さを感じるようになる。

ラモスのあのようなプレーを合法的な物として黙認してしまうような状態が続けば、今後もっとラフプレーが増えていくと思う。サッカーが柔道化したりラグビー化してしまうだろう。

審判に見つからない様に汚いプレーをする方が有利になってしまうと頭にくるし、しらけてしまう。面白くない。

正々堂々とルールは守るべきだと思う。

剣道の試合で、片方が竹刀だけでなく、ピストルを持っていればピストルを持っている方が勝つに決まっている。お互いがピストルを使わずに竹刀だけで戦うというルールを守るからこそ面白い戦いになるのであって、片方が有利な武器を使ったら勝負はやる前から分かり切ってしまう。

ピストルを使って勝ったところで、満足感はあるんだろうか。

サラーは左肩を強打し、生涯に一度立てるかどうか分からないチャンスを棒に振ってしまった。

また、約二週間後に控えているワールドカップへの出場も危ぶまれている。エジプト代表は7大会ぶり、28年ぶりのワールドカップ出場である。

エジプト代表として今年出場できない場合、4年後にアフリカ予選を突破できるかどうかは分からない。

サラーが負傷退場したとき、泣きながらピッチを去って行ったその悔しさは想像に難くない。

私はしばらくの間、ラモスのラフプレーに対する怒りが治まらなかった。

人生万事塞翁が馬と言うが、生涯に一度立てるかどうかという晴れの舞台で相手のラフプレーによる負傷でピッチを後にしなければならないサラーは、この状況をどうやって乗り越える事ができるんだろうかと考えていた。

28年ぶりのワールドカップに出場できないかもしれない。出場できたとしても万全の体調での出場が難しくなるかもしれない。

そんな怪我をさせてきた相手をどうやって許す事ができるのだろうか。

この状況をどうやって捉えたら感謝できるだろうかとサラーの立場になって考えてみた。

サッカー選手であれば、チャンピオンズリーグの決勝と、ワールドカップの本選というのは、人生最大の大舞台であり、そのために幼少期から練習に次ぐ練習に励んできたものだと思う。

それをすべて台無しにされたのだから、怒りが込み上げてくるのが当然で、感謝や許しなんて事は到底できるものではないと思った。

しかし、感謝できるかどうか、幸せを感じられるかどうかというのは、外側の現象がどのような状況かは関係なく、あくまでも本人が外側に起きている現象をどう捉えているかだけの問題だという話をよく聞く。

なので、私は、もし自分がサラーと同じ状況だったら、どのように捉えられればこの状況を感謝し、どのように捉えればラモスを許せるだろうかと一日中考えていた。

結論から言うと、私がもしサラーと同じ状況だったら、とてもじゃないけど感謝はできないだろうし、相手を許す事もできないだろうと思った。なぜならラモスの行為はミスではなく、明らかに故意だったからだ。

それにしてもラモスはなぜあのようなラフプレーを故意に実行したのだろうか。

ラモスはレアルマドリードという世界一のサッカーチームで長年レギュラーでキャプテンを務めるベテランだ。

彼は認めたくはないのかもしれないが、サラーと力の差を感じたんだと思う。

まともにルールを守って勝負したらサラーに負けてしまう。ドリブルで抜かれて点を入れられてしまう。そう感じたからこそ柔道技を仕掛けたんだと思う。

実力でサラーを止められると感じられれば実力だけで止めていたと思う。

ラモスはあのラフプレーを実行した事により、自分はサラーより劣っている事を世界に示してしまったように思う。

私は今度、ラモスの立場に立って考えてみた。

ラモスは冷静に自分の実力とサラーの実力を比較して、まともにやったら防げないと悟ったんだと思う。

だから、抜かれそうになったとき、イエローカード覚悟であのような柔道技に及んだんだと思う。

リバプール側から見たらラモスの行為は悪だが、レアル側から見たら彼の行為は善になるんだと思う。チームの勝利のために、自分が汚名を被ったとしても相手チームのエースを負傷退場に追い込む。これほどチームの勝利に直結する行為はない。

彼の立場に立って考えてみると、彼を責める事はできない事が分かってきた。

彼は自分の名誉を犠牲にして、チームのために汚名を被って、チームの勝利の陰の立役者になった。

サラーは母国エジプトで大人気で、大統領選に立候補してもいないのに100万票も得票するほどの人気ぶりだ。

サラーを汚いプレーで潰せば、エジプトの熱狂的なサラーファンから何をされるかわかったもんじゃない。

本人も将来、あの時はやり過ぎてしまったと良心の呵責にさいなみ、ベトナム戦争帰還兵のようにPTSDを患い、引退後に麻薬中毒になるリスクもある。

ラモスはチームの勝利のためにそういうリスクを背負って柔道技を掛けた。

私はラモスを責めることはできない。

私も自分の会社の利益のためなら、ライバル会社の社員がリストラされようが路頭に迷おうが全く気にしていない。

自分の国さえ良ければ他の国が滅亡しようが全く気にならない。

私も、敵国の住民を殺さなければお前の家族を殺すと脅されたら、敵国の住民を殺してしまうかもしれない。

結局、自分の家族や自分の身近な人を幸せにするために、遠い異国の人を不幸に陥れているのが私であり、ラモスであるということが分かった。

私とラモスの生き方は同じであり、批判する事はできないと思った。

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