我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

自殺・臓器提供マッチングビジネス

僕が最も釈然としない扱いの一つが、自殺者と殺人者の霊界での扱いです。

自殺した人も人殺しをした人も死んだ後、地獄に行きます。

しかし、人殺しをした人よりも自殺した人の方が辛くて苦しい地獄に長期間留まらなければならないということを本から学びました。

自殺者よりも人殺しの方が罪が軽いらしいのです。

そう考えると、いじめによる自殺というものほど理不尽な事はないように思います。

いじめによる自殺は、言わばいじめた人から殺されたようなものです。

自殺した人は死んだ後、数千年もの間、辛く苦しい地獄で苦しみ続けます。

一方、いじめ殺した側の人は、地球で刑務所にも入らず、死後の世界でも軽い罪と短い刑期で釈放されます。

これって凄く理不尽なシステムだと思いませんか?

この理不尽なシステムは誰が作ったのでしょうか?

死後の世界や霊界というものは公正で民主的なものとはどうも思えないのです。

自殺した人よりも、自殺に追い込んだ側の人の方が悪いし、罪も重いと思うのですが…。

貴方はどのように思われますか?

僕は、自殺した人が死後の世界に行ったときの罪を軽くしたいし、刑期をできる限り短くしたいんです。

それにはどうしたらいいのかをずっと考えてきました。

それに対する一つの案が、臓器提供です。

自殺したいけど、勇気がなくてなかなか実行できない人や、
自殺したいけど、何度も未遂を繰り返してしまう人。

こういう人を無痛・無苦で安楽死させてあげる。

その後で素早く、角膜などの臓器を提供する。

安楽死のための費用は提供する臓器や角膜の売却代金で賄う。

こうすることで、「自分で自分を殺した罪人」という立場から、
「新鮮な臓器を生きながらにして提供して多くの人を救った愛の人」
という事にしてもらうことはできないものでしょうか?

こうすることで、自殺したいけど勇気がない人や未遂ばかりを繰り返してる人を救い、
臓器提供者がいないがゆえに、死ななければならない人をも救うことができます。

唯一の問題は、安楽死させてもらって折角新鮮な臓器を提供したのに、
閻魔大王や霊界での評議員の方々からは、「命懸けで人を救った愛の人」とは認定されず、愛の人を偽装した「エゴによる自殺」と認定されてしまうのか、
そこだけです。

どちらになるのか、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて頂けると嬉しいです。

 

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