会津まつりを見てきました。
あまり気が進まない形で、やむを得ず、
僕は初めて福島県会津若松市に来ることになりました。
でも、折角来たことだし、次はいつ来れるか分からないから観光もしよう!
ということで、観光もすることに致しました。
たまたま訪問した日がなんと年に一度のお祭りの日で、
凄く幸運だったなと思いました。
藩公行列という武士の衣装を着た人たちの行進をしばらくぼーっと見ていると、
新撰組の衣装をした人たちが歩いてきました。
新撰組のことも会津藩のこともほとんど知らなかったのですが、
なぜか深い悲しみの感情が襲ってきて涙が出てきてしまいました。
会津新撰組記念館では、館長の方が会津藩の歴史を手短に教えて下さいました。
昔から中央政府の意向で違う藩主が引っ越して来たりして、
翻弄されてきた地域なんだなと思いました。
鶴ヶ城は小さい城だから時間もないし、飛ばそうと思いましたが、
一応さっと見学しておくことにしました。
しかし、中のパネルが凄く充実していて、会津藩の歴史が凄く良く分かりました。
新撰組というのは、東京に住んでいた浪人のような人たちが作った組織だと思っていました。しかし、実際は、会津藩が作った組織だったということが分かりました。
また、会津藩と言うと、明治政府から逆賊と見なされ、追い詰められて殲滅させられたと思っていました。
しかし、城の中のパネルを読んでみると、京都の護衛をしてくれと頼んだのは松平春嶽という人で、会津藩主の松平容保はずっと断っていたのだけど、あまりにもしつこいから仕方なく受け入れてあげたそうです。
これが事の発端なのに、いつの間にか逆賊ということになって、城を包囲されて砲撃された挙句、多くの自殺者を出したという話でした。
もちろん、松平春嶽氏は逆賊にはなっていません。
天皇陛下を護るためにわざわざ福島県から京都まで出て行ったのに、いつの間にか天皇陛下の敵ということになって、滅ぼされる…。
これって、本当に悲惨過ぎだと思いました。嵌められたとしか思えないと思いました。
自殺自殺と言うけれど、よくよく事情を調べてみたら他殺だったということは良くあることだということを思い出しました。
僕はこのときに自刃した人たちに言いたい事があります。
貴方は自殺したことで良心の呵責から自殺者用の収容所に自らの意志で入っていかれたのかもしれません。でも、貴方の自刃は自殺ではないと僕は思います。追い込まれたが故のやむを得ない選択だったと思います。いわば他殺です。だからもう、その収容所から出て来てください。