我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

書評その129 生きるための哲学 岡田尊司著

2008年に出版された「生きづらさを超える哲学」の改訂版(大幅に訂正し、改題したもの)だと書いてありました。

本当は「生きづらさを超える哲学」を読みたかったのですが、絶版になっているのでこちらを読みました。

 

題名の通り「生きるための哲学」を見つけようと思って読んだのですが、見つけることはできませんでした。

やっぱり本で読むだけじゃだめなのかな…と思いました。

この本の中にも書いてありましたが、ある人にとって「生きるための哲学」になった考え方も、他の人にとっては「生きるための哲学」にはならないんだなと思いました。

やっぱり自分の人生の中で体験から掴み取るしかなさそうな感じを受けました。

 

でも読んで良かったなとは思います。

と言うのも、やっぱりそう簡単には苦しみはスッキリ解決はしないんだなということが分かったからです。

この本の中に出てくる人の多くは僕と同じく中高年になっても悩み続け、晩年になってようやく心の中で折り合いを付けて生きられるようになっている人ばかりだったからです。あ…僕だけじゃなかったんだ…という一種の安心感を感じました。

 

本の中でいろいろな人の生きづらさに満ちた人生が紹介されていましたが、生きづらさの奥にはやはり愛着障害(子供が母親と愛情の絆を結べていない状態)があることが描かれていました。

たいていは中高年まで苦しみを抱えながら生きてきて、晩年は小説家や哲学者等になって、ある程度苦しみが軽減されている人が多い印象を受けました。

 

以下、印象に残ったところを抜粋します。

 

モームが「人間の絆」で描いたものは、不幸な親子関係を乗り越えていく一つの過程だとも言える。それは決して美しい過程ではない。こんな人間を自分は畏れ、愛してもらいたいと願い、認められないことに苦しんできたのかということを見届ける行為なのである。こんなくだらない人間を畏れ、こんなつまらない人間に気に入られようと努力していたのかと気づくことが、一つの人生の過程を終わらせ、親という桎梏から抜け出すために必要なのである。

モームのように、冷たく親の滅ぶ姿を見届けるということでようやく、過去の桎梏を消滅させることもある。モーム自身、この小説を完成して以降、ずっと引きずっていた養父に対するわだかまりから自由になることができたのである。(P.144)

 

漱石モームを文学へと駆り立てた原動力が、親に愛されなかった子供の悲しみだとすれば、心の重荷は、生産的なエネルギーにも転換することができるということを教えられて、幾分心安らぐのである。(P.146)

 

いい親子関係に恵まれなかった人にとって、生きる為には、親を諦め、親を見捨てることが必要な場合もある。親に認められようと、もがき続けることは、不毛すぎる消耗戦で傷つき続けることを意味する。それならいっそのこと、親など滅多に現れない環境に自らを置いた方がいい。傷付けられてしまうようなら、一切の関係を絶つこともやむを得ない。(P.152)

 

ユングはマコーミックの話を聞いて、一つのアドバイスをした。そのアドバイスとは、愛人を持ちなさいということだったと言われている。マコーミックは、妻にそのことを知らせている。「ユングは善良過ぎてはいけないと警告し、自由だと感じているかと私に改めて訊きました。彼はどちらかというと、少しばかり恋の遊びに興じるのを推奨して――愛人を持つのがいいかもしれないから考えてみるように、といいました」(P.222)

 

もっと深刻な障害を抱えて育った子どもでも、親が肯定的な愛情と保護を注ぐことができると、たとえば、ヘレン・ケラーのように、自分のハンディさえ引け目に思うことなく、前向きに、自信を持って生きていくことができる。しかし、親のネガティブな考え方を知らず知らず刷り込んでしまうと、それを乗り越えるのに、長い試練のときを要することになる。しかし、ホッファーの人生が教えてくれるように、人は途方もない過酷な試練をも乗り越えてゆけるのだ。(P.234)

 

長い虐待や強い支配を受けて育った人にも同じことが当てはまる。忌まわしい体験の記憶から、ただ逃れようとしている限りは、ただ翻弄されるばかりで、本来の自分を取り戻すのは難しい。自分の体験したことに正面から向かい合い、自分に何が起きていたのかを見つめることができるようになって、初めて自分らしい人生を回復することができる。(P.304)

 

感謝という結論が先に来すぎると、人を縛るだけの義務になってしまうこともある。良い子や善い人にありがちなことだが、強いられた感謝は、その人を不自由にし、本来の人生を奪ってしまいかねない。ときには、逆の人生を歩ませてしまうこともある。いくつもの試練を乗り越える中で、長い時間をかけて、いつしか辿り着ける境地なのだと思う。(P.307)