我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

「ありのままの自分を受け入れる」その19 生きるメリットとは

働きたくないという気持ちも強いけど、そもそも生き延びることにあまり興味がないというか。

なぜ多くの人が生き延びようとするのか、しているのかが分からない。

死にたい人の気持ちはよく分かる。

自殺した人の気持ちもよく分かる。

自殺したくない人の気持ちはよく分からない。

みんななんで生きているんだろう…

なんでみんな自殺しないんだろう…

やっぱり勇気がないのかな…

なんで生きてるんですか?と聞いて回りたい。

変な奴だと思われるかな…

変な奴だと思われてもいいから聞いてみようかな…

あなたにとって生きるメリットは何ですかと聞いてみたい。

僕はなぜ生きてるか。

本音を言えばピストルや手榴弾が手に入らなくて、他の手段では勇気がなくて死ねないから。やむをえず生きている。

生きるメリットにはどんなものがあるんだろうか。

生きる意味はあるんだろうか。

生きる価値はあるんだろうか。

働くのは生きるためのお金を得る為。

生きる意味がないとなるとお金を得る意味もなく、働く意味もなくなる。

生きるメリットがないと働くメリットもなくなる。

生きることによるメリットとデメリットを天秤にかけてデメリットばかりでメリットがないということになれば生き続けることは意味がなくなってしまう。

せめて生きるメリット対デメリットが51:49になってほしい。

生きるメリットが2で生きるデメリットが98なら生きる意味がほぼない。

そういう事業があったら撤退したほうがいいと思う。

生きるメリットというのは多分、生きる喜びとか生きる楽しさとかなんじゃないかなと思う。

喜びや楽しさが(ほとんど)感じられないというのが愛着障害で、満たされない気持ちをアルコールや薬物やセックスや食べ物で満たそうとする。

でも満たせない。

それが愛着障害だ。

岡田尊司医師の分析によると太宰治愛着障害らしい。

妻も子供も愛人もいたのに、仕事も上手く行って小説家としても活躍できていたのに結局は自殺というところに行き着いてしまう。

愛着障害は「死に至る病」だなと思う。

死ぬまで悩み、苦しみ続ける病気。

治るのかな…

治せるなら治したい。

僕にとっての人生というのは冤罪による強制収容所生活に似ている。

生まれて気付いてみたら、家庭という名の密室において親という看守が日々、命令、暴言、暴行、虐待、拷問を繰り返す。

密室だから誰にもばれない。

親が子に行うから犯罪にならないだけで、家庭において親が子に行っていることを他人にやった時点で「暴行罪」「傷害罪」「暴行致傷罪」「詐欺罪」「恐喝罪」「監禁罪」になる。家庭というのは暴力の巣窟だ。犯罪の巣窟だ。

親が子に行ったことは明らかに犯罪だ。犯罪は許す必要はない。犯罪を受けた被害者は加害者を訴え、刑務所に服役させる権利があるはずだ。その権利がないというのならもはや法治国家ではない。

親が子に行った犯罪と同等のことを子は親にやる権利があるのではないだろうか。