「ありのままの自分を受け入れる」その17 飲み会でバカにされた記憶と感情
今日は忘れたくてもなかなか忘れられていない、いやぁな思い出を書いていこうと思います。
一時期は嫌な事を忘れるためにお酒を飲んでいましたが、いくらお酒を飲んでも嫌なことを忘れることができないし、そもそも酔って気持ちよくなることもできないのでお酒を飲んで嫌な事を忘れようとすることはやめました。最近はほとんどお酒を飲まなくなりました。
自然に忘れていくことを望んでいたのですが、数年たった今も忘れておらず、なぜか最近になってその記憶と感情が浮き上がってきて、肩が凝るようになってしまいました。
そんなわけでその記憶と感情を解放するためにこうしてブログ上で心の整理をしてみることにします。
今から数年前、ある人から飲み会の席で「バカーッ!」と罵倒されたことがあります。
「バカバカバカバカーッ!」と何度も言われました。
それはとある講演会の後の懇親会の席上でのことでした。
その懇親会には約20人ほどが来ていました。
たまたま僕は講演者の隣に座ることができたので、講演会場ではできなかった質問をしました。
その質問を聞いた途端、その講演者は僕の質問に答える事もせず、いきなり「バカーッ!」と叫んだのです。
僕はそのとき、なんでいきなり「バカーッ!」と言われたのか理由も分からず、年下の講演者からいきなり馬鹿扱いされたことや、公衆の面前で恥をかかされたことで、恥ずかしさや怒りや屈辱、とまどいや困惑などいろいろな複雑な思いになりました。
その時は何とか怒りを押し殺し、腹の中に納め、何とか喧嘩にせずに笑って誤魔化す事に成功しました。
でもこの数年前に溜め込んだ怒りは未だに僕の中で消化されずに残ってしまっていたんですね…
かれこれ数年経ち、今になってやっと、なぜその時にそんな形で罵倒されたのかがやっと分かりました。
怒りに任せて殺人罪を犯さなくて本当に良かったと思います…
その講演会は社会・政治に関するもので、講演者はその研究者でした。
僕はかねてから社会・政治を裏で操る存在(イルミナティ≒国際金融資本≒中央銀行の大株主)について興味を持っていたのでそのことを質問したんです。
そしたらいきなり「バカ―ッ!」と言われたんです。
(へっ!?なんで!?)と僕は思いました。と同時に恥ずかしさや怒りやとまどいや困惑を感じました。
その人になぜ「バカ」と言ったのか、理由を聞くことはできませんでした。
今になって思ったのは、その人は国際金融資本やイルミナティについて説明できるだけの知識がなかったのかなと思います。
それで知らないことを質問されて答えに窮し、その人は僕から攻撃されたと思ったのかもしれません。答えに窮する質問をされて答えられないで恥をかかされそうになり、それで怒って僕に反撃したのかもしれません。
そう思うと納得できます。
僕は別にその人を困らせようと思って質問したわけではありませんでした。
すごく政治や社会に詳しい人でしたから普通に知っているだろうと思ってしまったんです。
でもよく考えてみたらいくら研究者と言えども、自分の専門分野以外のことは知らない方が普通ですよね。
僕はこうやって自分でも気付かない間に人を傷付ける発言をしたり、人を困らせたり窮地に追い込んだりしていたのかもしれないと気付きました。
相手がどう思うか、どう感じるかに対する洞察が足りず、不用意な発言をし、相手を困らせたり攻撃されたと感じさせてしまうのかなと思いました。
職場でもいつの間にか周りの人から攻撃されてしまうのも、不用意な発言や不用意な行動があったのかもしれないなと思いました。