生活保護その15 就労移行支援事業所の限界
昨日は福祉事務所の就労サポーターの方々3人と生活保護受給者延べ4人で就労移行支援事業所を2つ見学してきました。
午前中に行ったところは、ホームページやパンフレットを見た限りでは一番良さげなところだったので一番期待していた事業所でした。
どこに期待していたのかと言うと、利用者個人個人の個性や特性を見てくれそうな雰囲気を感じていたんです。
しかし…
行ってみて現場責任者的な人から事業所の説明を受けていて、その期待は大きく崩れていきました…
資料を渡されて説明を受けていたんですけど、その人はその資料のどこどこに線を引いて下さいとかどこそこを○で囲んで下さいとか、こちらの一挙手一投足に至るまで事細かに指定してきました(汗) まだ入学してもいないのに… まだ生徒でもないのに…
本人には全く悪気はなく、むしろ親切心からやっていたんだと思います。
忘れてはいけない大事な部分という事で線を引くように言っていたと思うんですが、そういう細かいところまで管理・コントロールする雰囲気がもうだめでした。
この事業所に入ったらそういうことをされるんだろうなという事が予測できました。
そして、そういう指定・指示をすることが相手にとって不快な思いを引き起こすということに気づけない感性に空恐ろしさも感じました… あぁ…この人は本当に分からないんだと…
前日に意識エネルギーを体験するワークショップに出た時、「コントロールのエネルギー」というものが微妙な違いで分かりにくかったのですが、まさかその翌日にクッキリハッキリとした形で体験できるとは思ってもみませんでした…
コントロールのエネルギーというのは、表面上は優しく柔らかく、親切そうな雰囲気なんですよね。でもその奥に冷徹な目的と方向性があり、そちらへ問答無用で持っていく強い意志があるんです。目が笑ってないんですよね。つまり、相手の自由意志への尊重はなく、相手の自由意志を無視した誘導があるんです。
そんなこんなで、午前中は嫌な思いだけで終わりました。
午後はまた別の事業所に行きました。
その事業所は打って変わってとても明るい雰囲気でした。
若い人が多かったのですが、いろいろな内職的な仕事をみんなで和気あいあいとやっていました。
知らないおっさん、おばさんの集団である僕らが見学に来た時も、何人かの若者から明るく挨拶までされてしまいました。
あんなにつまらなさそうに見える内職的仕事をやらされているのになんでこんなに明るい雰囲気なんだろうというのがとても不思議でした。
午前中の事業所では、パソコンスキルの実習的な時間割やコミュニケーションスキルのトレーニングの時間割など、多様なプログラムがあったのですが、こちらの事業所ではそういうものはなく、ただひたすら週3~5日、内職的仕事をみんなで手分けしてやるだけ、という時間割になっていました。
前回見学したところは、プロジェクターを使ってスライド上映しながら社会人としての身だしなみやマナーに関することを大学の授業的な感じでやっていました。
これで合計3つの事業所を見学したのですが、3つとも全然違う雰囲気であり、それぞれ特色のあるプログラムをやっているので本当に驚きました。
どこも一緒というわけではないんだなと痛感しました。
むしろどこも違うという感じを受けました。入学する前にいろいろ調べる必要があるなと思いました。どこも3日間ほどの体験入学を無料で受け付けているので、入学前の体験は必須だなとも思いました。
全国に3000か所以上ある就労移行支援事業所。
たった3か所見学しただけなのに、これだけの違いを感じました。一体どこの事業所がいいんだろう… 一体どこが自分に合うんだろう… また迷いは深まりました。
それ以前に就労移行支援事業所という選択肢自体が僕には合わないかもしれないとも思いました。
就労移行支援事業所では、「働きたい気持ち」がある事が前提になっている印象を受けました。
「働きたいけど、なかなか就職が決まらない人」とか、「働きたいけど、生活習慣や金銭管理や健康管理が出来ない人」などへの訓練をする、というような施設なんだと思いました。
僕の場合は前提というか土台となる部分、つまり「働きたい気持ち」があまりないんですよね…
「働きたいけど働けない」んじゃなくて「働きたいと思える職場が見つからない」「働きたいと思える職種が見つからない」「やりたいと思える仕事・職種がない」という感じでしょうか。
そして今や「働きたくないけど働かないといけない」状態になりつつあります。
やっぱり潔くホームレスになるしかないのかなぁ…
「働きたい気持ち・意欲」を高める・醸成する支援とか事業所とか施設はあるんでしょうか…
働くことでしか得られないメリット、働く喜び、働く楽しさ、そういうものを僕は先に知りたいです。
なぜなら僕は働くデメリット、働く苦しさ、働く辛さしか知らないからです。
石の上にも3年という諺を信じて辛い職場を2年11か月耐えた事もありましたが、何も開けなかったですね。
やりたくないことをやってまで無理に生き延びる、無理に寿命を延ばすという人生はもうコリゴリです。そういうのは45年間もやってきたのでもう十分です。
僕の様な考えの人は少なからずいるように思うのですがどうでしょう。
そういう人が静かに苦痛なく緩慢に死んでいける施設というのが必要な気がします。
こういうのを尊厳死というのでしょうか。
今の日本に働くのが嫌な人が静かに息を引き取れる施設とか事業所はあるんでしょうか。
そういうのは違法なんでしょうか。
合法であるならそういう事業を立ち上げるのもいいかもしれないと思いました。ADHDの人間に一番合う職種は起業家ですからね。
自殺ほう助罪になってしまうんでしょうか。
支配者としては人口削減したいと思ってるらしいので、支配者と庶民が利害を共有できる数少ない政策だと思うのですが…