我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

統一教会その13 カルト宗教専門の脱会支援カウンセラーに対する思い

昨日、カルト宗教の脱会支援カウンセラーが書いた本を読みました。

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著者は脱会支援カウンセラーになろうとしてなったわけではなく、いろいろな人の悩み相談に乗っている内に自然とそうなっていたらしいです。

実は僕も脱会支援カウンセラーになってみようかなと思ったことがあります。

それには二つ理由があって、一つは儲かるらしい、ということ。

もう一つはカウンセラーという職業に多少興味があったことです。

しかし、カウンセラーという職業は一般的には儲からない職業、食っていけない職業らしいと聞いていたので、それならやはり元統一教会員という経歴を生かしたカウンセラーがいいのではないか…と思ったのです。

ただ、どうしてもやりたい職業だったわけではないので、あえてその門を叩く事はありませんでした。

実は少なくない人から、カルト宗教専門の脱会支援カウンセラーはいいのではないか、向いているのではないかと言われてきました。

それでもなぜか、気が進まなかったんですよね。

僕の心の中のなかなか言葉で表現しにくいモヤモヤした思いが、昨日読んだ「なぜ人はカルトに惹かれるのか」という本でハッキリしたように思います。

それは、たとえ相手がカルトと言われる宗教に所属していようとも、本人の自由意志や自由行動は尊重されるべきではないか、という思いがあったんです。

カルト宗教の脱会支援カウンセラーとなると、いわゆる「※拉致・監禁」にも携わらなければならないと思ってしまったのです。

(※拉致・監禁とは、カルト宗教に入っている信者を強制的に拉致し、マンションの一室などに監禁して自由行動を制限し、信者がカルト宗教と連絡が取れない状況下に置き、情報統制し、教祖のスキャンダル情報や教義の欠点などを刷り込んでいく事で脱会に導く手法)

僕は喫茶店などで信者と会って話す程度のことならやれるとは思いましたが、拉致・監禁に協力することはたとえ相手が統一教会員だろうとオウム真理教だろうと気が進まなかったのです。

でも、この「気が進まない」気持ちは正しかったと思います。

例えば自分の家族が暴力団に入ったとしても、それは本人が決めた事。将来犯罪を犯すに決まっているから拉致・監禁してでも辞めさせなければならない、とは思えなかったのです。

犯罪を犯したらその時に逮捕して刑務所に入れればいいのではないかと思ったのです。

それと、脱会させたい家族の自由意志を尊重するのか、それとも信者を続けたいと思っている本人の自由意志を尊重すべきなのか、迷いがあったのです。

僕が持っていたそういう迷い、心の揺らぎ、と言った物を「なぜ人はカルトに惹かれるのか」の著者の瓜生崇さんも持っていらっしゃいました。

あとは、強制的に脱会させて本当に本人の幸せに繋がるんだろうか、という疑問もあります。

僕も信者の頃はそうでしたが、一般社会にいる時よりも人生に充実感や生きがいを感じていた時期が長かったのです。確かに、辞める直前は婚約問題やら仕事やら教団内の人間関係などに悩んでいましたが、在籍していたほとんどの期間は情熱とやりがいを持って取り組んでいたように思います。

そういう信者を無理矢理引き剥がすように辞めさせるという事に違和感を感じていたのです。

なぜなら、信者は基本的に、一般的な普通の生活(サラリーマンになって結婚して子どもを産んで郊外に家を買ってローンを払いながら定年まで働く、というような生活)に希望を感じられなくて、むしろ絶望して宗教に入る人が多いわけです。

そういう性格の信者のやりがいや生きがいを奪い取って、本人が死ぬほど忌み嫌っていたサラリーマン生活をやらせる、というのはどうなんでしょう。

あとは、脱会させたい家族の気持ちも分かりますが、それ以上に信者を続けたい本人の気持ちの方に親近感を感じる自分がいるのです。

カルト宗教の信者は、人生の目的は何なのか、人はなぜ生まれ、何のために生き、なぜ死ぬのか、生とは何か、死とは何か、などの問いを真剣に考えている人が多いです。普通の人はそれらは答えがないから考えるだけ無駄、楽しく生きればいいんだよと言う人が多いですが、楽しく生きれないから悩んでいるのです。

僕は楽しく生きればいいんだよ、と言う人よりも、楽しく生きれないから悩んでいるんだし宗教をやってまで探求してるんだよ、という人の方に親近感を感じてしまうんです。

そんなわけで、子どもを脱会させたい!と鼻息を荒くしている家族の応援をしてお金を貰うなんて言うのは…自分の心に嘘をつくような感じがしたんですよね…

 

統一教会の信者をやっている人に持っている僕の思いは、そこで幸せならたとえ親に反対されていても続けたらいいし、でも悩んだり葛藤が多いならもう自己牧会(≒自己カウンセリング)はやめて、一旦お休みしてもいいのではないですか、と提案したいですね。

そして試しに反対派の情報にも触れて見てはいかがでしょうか。

反対派の情報に触れただけで信仰が揺らぐようなら、その宗教は大した事ないんじゃないですかね。本当にしっかりした宗教なら反対派の情報に触れたところでビクともしないと思うのですが。

反対派を救うためにも相手を知るところから、とは思いませんか。

 

僕はいろいろな本を読んで、人間は生まれる前に人生の大まかな筋書きを書いて生まれてくる、という考えを知りました。絶対正しいかどうかまでは確信はないですけど、なんかそんな気がするんですよね。

そしてその筋書き通りに人生が進むように、一人一人に目に見えないガイドさんが付いて人生の軌道修正を手伝ってくれているという噂も聞きました。

そんなわけで、カルト宗教に入っている人の人生がもし間違っているなら、そのガイドさんが何かイベントを起こしたり必要な現象に出会わせたりして、うまくいくんだろうと思っています。

そういうところにあえて僕が入って行かなくてもいいんじゃないかなぁ…と思っています。