我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

統一教会その8 合同結婚式って結局何なの?

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街を歩く人に天国に行くための説明をしている信者  (出典:いらすとや)

合同結婚式の特徴を一言で言うと、教祖・教団の決めた人と結婚しなければならない事です。僕が在籍していた2006年まではそうでした。(今はだいぶ教条主義が緩和され、本人の希望も少し取り入れてもらえるようになってきたらしいです。)

結婚式とは言うものの、実質は婚約式のような感じでした。婚約してから実際に一緒に暮らすようになるのはずっと先で、僕が在籍していた頃は女性が33歳以上になってから家庭生活を出発するという不文律がありました。

なぜ自分で結婚相手や結婚時期を選べないかと言うと、これも旧約聖書の創世記にその根拠を求めています。この記事を書いていて、旧約聖書というのは統一教会以上のカルト宗教ではないかと思えてきました。

ルシファーとエバは結婚する時期が来る前にセックスしたため、結婚時期やセックスする時期は神及びその代理人たる教祖・教団が決めなければならないという教え。そして、エバは本来の結婚相手であるアダムと結婚せず、神が指定してなかったルシファーとセックスしたため、結婚相手は神及びその代理人である教祖・教団が決めなければならないという教えです。

人類始祖が結婚に関して自己中心な行動を取ったため、人類全体に原罪と自己中心性が埋め込まれた。だから統一教会員は結婚に関して自分の希望条件を持つ事は自己中心的行動になるのでその思いを否定しなければならないという教えなのです。

僕は最初に合同結婚式に参加したのは1997年でした。費用は140万円掛かりました。僕は当時23歳、相手は確か1歳下の日本人でした。マッチングされても住んでいるところが遠く、離れ離れだったので文通したりたまに電話したり、半年に一回程度会って話すだけでした。お互い好き同士になることもできず、相手の女性が信仰を捨てた事でこの関係は終わりました。

二回目に合同結婚式に参加したのは2001年でした。費用は40万円掛かりました。相手は3歳ほど年下の日本人でした。今回もなかなかお互い好き同士になる事ができず、僕の方から婚約解消を申し出ました。それと同時に統一教会の職員も辞め、統一教会からも退会しました。

統一教会員のほとんどは好きでもない相手と婚約し、夫婦生活も始めてそのまま暮らし続けています。

好きか嫌いかで結婚しているのではなく、あくまで宗教の教えから来る修行の一環です。何十年経っても好き同士になれない夫婦もたくさんいます。教団は離婚率が2%と少ない事を良い事であるかのように宣伝していますが、形だけの結婚生活を続ける事の価値よりも、その夫婦が本当に好き同士になり、その夫婦の心の中が本当に幸せに満ち溢れいるのか、そこの所にこそもっと焦点を当てて欲しいなと思います。

なぜ統一教会員が好きでもない配偶者との結婚生活を我慢し続けているかというと、それが自分の愛のレベルを高める修行の一環だと認識しているからです。自分の好みの相手を愛する事は簡単で、それでは精神的にも人格的にも成長できない、むしろ自分の嫌いな相手であればあるほど、無条件の愛を育むために良い相手だというふうに捉えているのです。

それと離婚率が低い一番の要因は恐怖信仰を植え付けている事だと思います。

教団の教えで一番重要なのが合同結婚式を受ける事であり、それを守る事となっています。不倫や浮気は殺人よりも罪が重いとしています。離婚などは以ての外であり、離婚すればどうしても教会内に居辛くなり、教会から離れざるを得ない状況になります。このような状況では離婚したくてもできないと思います。

合同結婚式で生まれた子供の事を二世または祝福二世と呼びますが、彼らの多くが合同結婚式に参加したがらないし、統一教会員以外の相手と恋愛したくなります。

二世にも信仰の自由があり、親以外の宗教を選ぶ権利もあるし、無宗教を選ぶ権利もあります。という事は、親が推薦しない相手と恋愛する権利もあります。

親からやりたくもない宗教を押し付けられ、自由恋愛を禁止され、挙句の果てに好きでもない相手と結婚せざるを得ない、そのような状況に精神的に追い詰められている二世が増えています。

教団の教典である原理講論の堕落論には、メシアは人類の愛と性の問題を根本的に解決し得るお方でなければならないと書いてありますが、統一教会が誕生する事によってまた一つ、愛と性の問題で悩み苦しむ人々が多く誕生する事になりました。