我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

書評その69 村に火をつけ、白痴になれ  -伊藤野枝伝- 栗原康著

栗原康さんの本は前からずっと気になっていたのですが、ずっと後回しになっていました。と言うのは、何の本か忘れたのですがあまりにも平仮名が多く、読みにくくて途中で挫折していたのです。

僕は平仮名も好きなのですが、それ以上に漢字が好きなんですよね。漢字の何が好きかと言うと、その起源はハイスクール奇面組に遡るんですけどね。何でも漢字で表して風刺したくなってくるんですよ。

 

この本は伊藤野枝さんという100年前に生きた女性の話なのですが、当時から見ても現代に生きる僕から見ても凄く破天荒な生き方でとても引き込まれました。その結果、著者の平仮名の多い文章も気にならなくなり、最後まで読む事ができました。

伊藤野枝さんの生き方もいいし、彼女のことを的確に描写し、賛成している著者にもとても共感しました。

でももっと共感したのは、大杉栄さんや辻潤さん、伊藤さん宅に居候していたゴロツキたちでした。彼らは働きもしないでひたすら本を読むか文章を書くかしかしていません。家事や育児もほとんどしていません。なんか僕にそっくりだなと思ってしまいました…

今風に言えばひきこもりのようであり、ニートのようでもあり、住所不定無職という人たちでした。そういう人がまだイキイキと生きられていた時代が大正時代だったのかなと思いました。今はひきこもりやニートでイキイキと生きている人は稀ではないでしょうか。僕が知らないだけかもしれませんが…

 

伊藤野枝さんは一言で言えば、結婚制度や奴隷制度と戦った無政府主義の言論人です。

 

僕は政治や歴史を勉強していく内に、政府なんていらない、小さな村で助け合いをする自治でいいと思うようになったのですが、伊藤野枝さんも栗原康さんも同じ考えであることを知って、これからもっと伊藤野枝さんについて学んでみようと思ったし、栗原康さんの本も読んでみようと思いました。

栗原さんはこの本の中でセックスしたいとあからさまに公言しているのでビックリしました。

僕もブログで同じような事を言ってきましたが、まさか同じような事を言っている人が他にもいたことに驚きました。

やっぱり今の日本にはセックスの自由がありそうでないと思います。本当に自由だったらセックスしたいとか言う前にやっていればいいんですから。

セックスの自由があるのはモテる人と金持ちだけであって、モテない人や貧乏人にはセックスの自由がありそうでないんですよね。

 

伊藤野枝さんは自分と違う意見を言っている人に対して論戦を挑んだり、資本家や政府や警察と戦う姿勢を明確にしていました。

無政府主義という点では僕と同じですが、僕は今のところ戦う気がないのでそこだけは違うかなと思いました。

あと、伊藤野枝さんは凄くモテていましたが、常に1対1の男女関係を守っていました。そこがやはり男性との違いなのかなと思いました。伊藤さんが複数の男性と平行してセックスしていたらもっと凄かったと思いました。伊藤さんと言えども、やっぱり1対1こそ素晴らしい、美しいという道徳観から抜け出せなかったのかなとも思いました。やっぱり辻潤からDVされた事とか彼が元カノに刺されたりしたのがトラウマになったのかな…