我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

サッカーと国家と愛国心について。

サッカーのワールドカップを見ているとどうしても「国家」と言うものを意識せざるを得ない。

「国家」って何なんだろう、という思いがふつふつと沸いて来る。

きっかけとなったのは、スイスのシャキリ選手が試合終了1分前に劇的ゴールを決めた後、胸の前で両手を蟹の影絵のような形にした事だ。

あれは何なんだろうと思って調べてみると、どうやら彼はアルバニア人らしく、アルバニア国旗に描かれている鳥の形を示した物だったらしい。

シャキリ選手はスイス国籍のスイス人である。しかし、彼の両親はアルバニア人で彼が幼い頃に生まれ故郷のコソボからスイスに移住したとの事である。

コソボは元々はセルビアの中にあった一地域だが、独立して国家になった。

しかし、独立しても国家として承認しているのは国連加盟国193か国中、116か国だけとなっている。日本は承認している。

もちろん、セルビアからは国家としては認められていない。

そんなこんなで、シャキリ選手は今までの積もり積もった鬱憤を晴らすかのごとくに、得点後に鳥マークを作り、試合終了後に天に向かって雄叫びを二度も上げている。

彼にとっては「セルビア対スイス」ではなく、「セルビアコソボ」「セルビアアルバニア」だったのかもしれない。

彼はスイス人にしてはどうもサッカーが上手過ぎるなと思っていたが、やっぱり旧ユーゴスラビア(サッカー大国)出身だったのである。

ワールドカップは何のためにあるんだろうか。

愛国心を高めるためにあるんだろうか。

何のために愛国心を高める必要があるんだろうか。

それは戦争をするためではないだろうか。

でも最近はインターネットの発達と、世界中での外国移民の増加による異民族間草の根交流により、いくらニュースやテロビで戦争しましょう戦争しましょうと煽ってもなかなか庶民が戦争する気持ちにならなくなってきた。

戦争しても儲かるのは大企業と武器商人と銀行だけで、庶民は一銭も儲からないという現実を庶民が理解してしまっているからだ。

戦争してても相手の武器とメーカーが同じだったりして…。笑っちゃいますよね…。殺し合いしてても儲かるのは武器メーカーだけで兵士や国民は全然生活が豊かにはならない。たとえ武器のメーカーが違っていても、その武器メーカーの株主を辿っていくと株主が同じだったり…。

そういう真実がどんどん明らかになる事によって、いくらテロを自作自演してもなかなか庶民が殺し合いをしてくれなくなってしまった。

軍艦に漁船で体当たりしてもなかなか戦争する気になってくれない…。

日本海にミサイルぶっ放してもなかなか戦争する気になってくれない…。

金正恩とトランプが仲良くなっちゃっている…。

もう、そんなこんなでいくら愛国心を高めても戦争してくれないんじゃ儲からないから、ワールドカップで愛国心を高めてもしょうがなくなった。

戦争してくれないなら、低賃金で働いてくれる外国移民を先進国に入れて搾取するビジネスで手堅く儲けるしかない、外国移民をたくさん入れるには愛国心はむしろ邪魔だ…。それならもうこれ以上ワールドカップを盛り上げる必要はないじゃないか…。

そんなこんなでレアルマドリードはスペイン代表監督を開幕直前に引き抜いて、ワールドカップに水を差すような事をしたのではないか…。

国家というものは戦争をするためと、税金を取り立てる為に必要なのであって、庶民には必要ない気がする。庶民に必要なのは衣食住であって国家ではない。

国家がなくても生きては行ける。

戦争して政府に借金で武器をかわせてその借金を庶民からの税金で返済させていくというビジネスモデルが主流だったが、国債金利の低迷で国際金融資本家の人たちとしても国債ビジネスにあまり旨味を感じなくなったのかもしれない。

そんなこんなで戦争で使っていた毒ガス兵器を「農薬」に流用して、葉っぱにプシューって吹きかけてそれを庶民に食べさせて抗癌剤を売りつける商売の方に軸足を移したんだと思う。

国家の大事な機能は「軍事」「外交」「諜報」だと言われいてる。

しかし、敵国の庶民同志が草の根で仲良くなっちゃっているから、「軍事」もいらない。「外交」もいらない。「諜報」もいらなくなっちゃっていく方向性になっている。なぜなら敵国ではなく、仲良しの友達の住んでいる国に過ぎないから。

グローバル大企業が金儲けと搾取にまい進するために先進国に外国人労働者を入れまくった結果、戦争ができない状況となってしまっている。