我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

ジダンはレアルのやり方に愛想を尽かしたのではないだろうか…

サッカーのプロチームで三年連続世界一になったスペインのレアルマドリード

三年連続の優勝を決めたのが数日前の事だが、いきなりジダン監督が辞任する事になった。

私はこのニュースを聞いたとき、さほど驚かなかった。

むしろジダン監督の男気を感じた。

直感的にいろいろと思う事があった。

レアルは確かに国内リーグでの優勝はできなかったが、チャンピオンズリーグを三年連続で優勝した実績を考えると引責辞任する必要はなかったと思う。

ペレス会長もジダン監督の辞任発言を驚いていたとのことで、これはレアルというクラブの方針で監督を辞任させたのではないと分かった。

私はジダン監督が好きだ。選手の頃から好きだった。

彼を見習って頭を剃ることもした。

辞任の理由について彼は「このチームには変化が必要」などと当たり障りのない事を述べていたが、明らかに本音を隠していると思った。

彼の発言の中に「…だから少しでも勝つ気持ちがなくなったら変化が必要なんだ…」という言葉があった。

私はこの言葉を見て、セルヒオラモスの事件を思い出した。

ラモスがサラーの腕を脇で極めて体落としに持ち込んだプレーは、どう斟酌してもイエローカードを覚悟して実行した「故意」の行動であることは録画を何度見ても明らかだと思う。言い訳や弁解の余地はないと思う。

ここからはあくまでも私の推測なのだが、ジダン監督はあのプレー、あのラモスの行動とその行動が引き起こした結果について、無言で引責辞任したんだろうなと思った。

サラーはラモスに腕を脇で固められた時、もしも固められた体勢のまま右手を地面についていたら、おそらく肘が逆に曲がって折れていたか、右手首を骨折していたと思う。

サラーは右手をついたら右手が折れることを一瞬で予測し、その類稀な運動神経で空中で一回転することにより一番体にダメージの少ない肩から地面に落ちるという受け身を取る事ができた。

私は肩から落ちる事で右腕が逆に曲がってへし折れるという惨劇を免れて本当に良かったと思う。

結局あのプレーによりサラーは負傷交代する事になった。

将棋で言えば、いきなり飛車落ちになったようなもので、サラーが交代した後はレアルの一方的な攻めになり、リバプールは防戦一方となった。

私はジダン監督はまともな感覚の持ち主だと感じている。

ジダン監督は現役時代、頭突きで有名になった事がある。

マテラッツィから侮辱された報復で頭突きをした事件である。ジダンは汚い行動を黙って見過ごす事ができない性格なんだと思う。

今回のラモス事件では、たとえ自分の指示ではなかったにしても、自分のチームの選手が汚い手を使って相手に致命的な負傷を負わせ、交代せざるを得ないようにさせたばかりでなく、エジプト国民から28年ぶりの悲願を奪い取る事にも繋がった。

現時点でもなお、ラモスはサラーに謝罪もせず「…僕らはみんな仲間だ」などど開き直っている。

人間としての良心の呵責を感じる事もなく、悪びれる様子もなく、試合後のあまりにも早いツイッターでの優等生的な発言…。これらの点と点を線で結び付けていくと…。

相手チームのエースのサラーを反則を使ってでも止める、たとえそれが相手の怪我につながったとしても…、というような指令がジダン監督よりも上の存在から来ていたのではないだろうか…。ジダン監督も逆らえない様な存在から。ラモスが平然としていられるのは上からの指示を忠実に実行しただけ、という事だったのかもしれない。

ジダン監督はそういうチームの方針にこれ以上、ついていけなくなり、そんなやり方で優勝しても何の意味があるんだろうかという抗議の気持ちや義憤、失望、こんなチームのために俺はもうこれ以上は頑張れない、ここまでやって来たのだから、もう十分に恩返しはしただろう、というようないろいろな気持ちがあったのではないかと思った。レッドカードが出されてもおかしくなかったラモスのプレーに対して、イエローカードはおろかノーファウルで全くの御咎めなしだった審判の不可思議な判定。チャンピオンズリーグの前にもバルサ対レアルの試合で、あまりにもレアルに有利な審判の判定が続いた事があった。まともな感覚を持っているジダンには、あのような審判の判定で勝つということにも釈然としない物を感じていたんだと思う。現役時代から汚いプレーをせずに正々堂々と戦ってきたジダンには耐えられなかったんだと思う。

ジダンの本当の気持ちは分からない。本当の気持ちは口が裂けても言えないんだろうと思う。だから我々は洞察するしかないのかもしれない。