我慢をやめる生き方へ

我慢することをやめ、やりたくないことはやらない生き方を貫いていきたいと思います。

映画「もうろうをいきる」を見ました。

f:id:saiohasso:20170916210500j:plain

ヘレンケラーという人をご存じでしょうか?
見えない、聞こえない、喋れないという三重苦でありながら、それを乗り越えていろいろな分野で大活躍をされた凄過ぎる人です。
僕はチビ・デブ・禿げ・貧乏・内向的という低レベル五重苦すら 乗り越えられずに苦悶している最中ですが…。
乗り越える前にカード会社に雇われた怖い人に低レベル廃棄物として東京湾に埋め立てられてしまうかもしれませんが…。

僕は2年前に「ぼくの命は言葉とともにある」という本を読み、福島智先生を知りました。
この御方はヘレンケラーと同じ全盲ろうであるにも関わらず、東京大学の教授です。東大に入るだけでも大変なのに、東大生を教える先生…。
一体どんだけ凄いんだとずっと思ってきました。
その先生の実物を見れるということで、今日、渋谷アップリンクに行って参りました。
「もうろうをいきる」という映画の上映後に、福島先生がお話をして下さるということを知ったからです。
もちろん福島先生だけが目当てというわけではなく、映画も見たかったんです。

この映画は全盲ろうの人が8人出てくる映画でした。僕の中では全盲ろうというのは、あらゆる障がいや病気の中でもかなりきつい部類ではないかとずっと思ってきました。正直、こんなに辛くて理不尽な境遇はないのではとも思ってきました。この映画に出
てきた8人の方々は本当に凄かったです。みんな前向きに頑張っておられて…。これ以上言うとネタバレになるリスクが出てくるので、もうこれ以上は申し上げません。僕はこの映画を漫然と見 てしまったのですが、後で購入したパンフレットに福島先生の解
説が書いてあり、8人それぞれが取り組んでいたテーマが書いてあり、なるほど!と思いました。パンフレットも凄く濃厚なので見終わったらパンフレットも凄くお勧めします。

映画のことはネタバレになるので書けませんので、パンフレットに書いてあった福島先生の言葉で心に残ったことをここに書きます。
「単に光がなくなる、音がなくなることが本質ではないんです。光や音がなくてもコミュニケーションがあればどんな人間でも生きられる。…コミュニケーションが拒絶されるような状況だと見えて聞こえる子供が死んじゃったりするわけですよ。いじめられ
て、自殺したりするわけですよね。つまり、見えるか聞こえるかということが命を左右することよりも、人間関係とか言葉のやりとりとかが人の命を左右する事の方が多いんだろうと思います」。

この機会を逃したらもはやお会いする事は二度とないと思ったので、自殺する勇気もなかったチキン内海が福島先生に質問させて頂くために勇気を出して質問させて頂きました。
(福島先生の言葉を正確に聞き取れたわけではなく、自分の記憶で書いているので、福島先生の言っていたことを正確に表現できているわけではないことをご了承下さい。聞き間違っていたら訂正します。)

質問1、目が見えない、耳が聞こえないということが辛くなって神を怨んだり、憎んだりしたことはありますでしょうか?
答え、
神か仏か分からないですが、そういうものを怨んだりしたことはなく、割とすぐにこのような状況になったのも何か意味があるんだろうと思えました。

質問2、生まれてくる前にどのような肉体にするか、自分で選んでくるという考え方もあります。男に生まれるか、女に生まれるか、どの国に生まれるか、健常者に生まれるか、障がい者に生まれるか選べるという考え方を聴いた事があるのですが、福島先生
はこのような考え方をどのように思われますか?
答え、
そういうふうに仰っている人は多分新興宗教かスピリチュアルの人だと思いますが、私はどういう肉体になるのかは選べないのではないかと思っています。だから障がいを持って生まれてくることになった人でもちゃんと生きられるように社会を整備していく
べきだと思います。

この映画は本当に良かったので、気が早いかもしれませんが、Ⅱも作って欲しいなと思いました。Ⅱでは、今回の8人以外のもっと他の人も取り上げて欲しいと思います。全盲ろうの人は日本だけで14000人いるそうです。今回映画に出演した8人は凄ま
じく過酷な条件でも前向きに頑張って乗り越えてこられた人ばかりでした。でも14000人の中には乗り越えられずに苦悩している最中の人や自殺した人、姥捨て山的なことになった人もいるのかもしれません。僕だったら耐えられなくなって、身近な介助
者に殺してもらうことを依頼するかもしれません。そういう人もⅡでは取り上げてほしいなと思いました。